臨済録 / 示衆
問:「如何是西來意?」師云:「若有意,自救不了。」云:「既無意,云何二祖得法?」師云:「得者是不得。」云:「既若不得,云何是不得底意?」師云:「為爾向一切處馳求,心不能歇。所以,祖師言:『咄哉,丈夫!將頭覓頭。』儞言下便自回光返照,更不別求。知身心與祖佛不別,當下無事,方名得法。大德!山僧今時事不獲已,話度說出許多不才淨。爾且莫錯,據我見處,寔無許多般道理,要用便用、不用便休。
新字:問:「如何是西来意?」師云:「若有意,自救不了。」云:「既無意,云何二祖得法?」師云:「得者是不得。」云:「既若不得,云何是不得底意?」師云:「為爾向一切処馳求,心不能歇。所以,祖師言:『咄哉,丈夫!将頭覓頭。』儞言下便自回光返照,更不別求。知身心与祖仏不別,当下無事,方名得法。大徳!山僧今時事不獲已,話度説出許多不才浄。爾且莫錯,拠我見処,寔無許多般道理,要用便用、不用便休。
書き下し
問ふ、「如何なるか是れ西來意」と。師云く、「若し意有らば、自ら救ふも了せじ」と。云く、「既に意無くんば、云何ぞ二祖法を得たる」と。師云く、「得るとは是れ不得なり」と。云く、「既に若し得ずんば、云何なるか是れ不得底の意」と。師云く、「爾一切處に向かって馳求し、心歇むこと能はざるが為なり。所以に祖師言く、『咄、丈夫よ、頭を將って頭を覓む』と。儞言下に便ち自ら回光返照して、更に別に求めざれ。身心の祖佛と別ならざるを知り、當下に無事なる、方に法を得と名づく。大德、山僧今時事已むを獲ず、話度して許多の不才淨を説き出だす。爾且く錯る莫かれ。我が見處に據らば、寔に許多般の道理無し。用ゐんと要さば便ち用ゐ、用ゐずんば便ち休せよ」と。
現代語訳
問うた。「達磨が西から来た意とは何ですか」。慧照は言った。「もし意があるなら、自分を救うことすらできまい」。問うた。「意がないのなら、どうして二祖は法を得たのですか」。慧照は言った。「得るとは、得ないということだ」。問うた。「得ないのなら、その得ないという意はどういうことですか」。慧照は言った。「おまえがあらゆるところに走り求めて、心を止められずにいるからだ。だから祖師は言われた、『喝、丈夫よ、頭を持ったまま頭を探している』と。おまえがその言葉のもとで自ら光を回らせて照らし返し、それ以上ほかに求めない。身も心も祖や仏と違わないと知り、その場で何事もなくなる、それをはじめて法を得たという。大徳よ、わしは今日やむをえず、話を重ねてつまらぬことを多く説き出した。おまえは間違えるな。わしの見るところ、そんなに多くの道理などない。用いようと思えば用い、用いないならやめておけ」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『臨済録』勘辨趙州行脚の時、師に參ず。師の洗脚に遇ふ次いで、州便ち問ふ、「如何なるか是れ祖師西來の意」と。師云く、「恰も老僧の洗脚に值へり」と。州近前して聽く勢を作す。師云く、「更に第二杓の惡水を潑ぎ在けんことを要すか」と。州便ち下り去る。
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『臨済録』示衆是れ爾が目前歴歴底、一箇の形段勿くして孤明なる、是れ這箇、説法聴法を解す。若し是の如く見得せば、便ち祖仏と別ならず。但だ一切時中、更に間断すること莫かれ。触目皆な是なり。秖だ情生ずれば智隔たり、想変ずれば体殊なるが為に、所以に三界に輪回して種種の苦を受く。若し山僧が見処に約せば、甚深ならざる無く、解脱せざる無し。道流、心法は形無くして、十方に通貫す。眼に在っては見と曰い、耳に在っては聞と曰い、鼻に在っては香を嗅ぎ、口に在っては談論し、手に在っては執捉し、足に在っては運奔す。本と是れ一精明、分かれて六和合と為る。一心既に無なれば、随処に解脱す。山僧与麼に説く、意、什麼の処にか在る。秖だ道流が一切馳求して、心歇むこと能わず、他の古人の閑機境に上るが為なり。道流、山僧が見処を取らば、報化仏の頭を坐断し、十地満心も猶お客作児の如く、等妙二覚は枷を担い鎖を帯ぶる漢、羅漢辟支は猶お廁穢の如く、菩提涅槃は驢を繋ぐ橛の如し。何を以てか此の如くなる。秖だ道流が三祇劫の空なることに達せざるが為に、所以に此の障礙有り。若し是れ真正の道人ならば、終に是の如くならず。但だ能く縁に随って旧業を消し、任運に衣裳を著け、行かんと要すれば即ち行き、坐せんと要すれば即ち坐し、一念心も仏果を希求すること無し。何に縁ってか此の如くなる。古人云く、『若し業を作して仏を求めんと欲せば、仏は是れ生死の大兆なり。』大徳、時光惜しむべし。秖だ傍家に波波地に禅を学び道を学び、名を認め句を認め、仏を求め祖を求め善知識を求めて意度せんと擬す。錯ること莫かれ。道流、爾秖だ一箇の父母有り、更に何物をか求めん。爾自ら返照し看よ。古人云く、『演若達多、頭を失却す。求心歇む処、即ち無事。』大徳、且く平常なることを要す、模様を作すこと莫かれ。一般の好悪を識らざる禿奴有り、便即ち神を見、鬼を見、東を指し西を劃し、晴を好み雨を好む。是の如きの流は尽く須らく債を抵し、閻老の前に向かって熱鉄丸を呑む日有るべし。好人家の男女、這の一般の野狐精魅に著けられて、便即ち揑怪す。瞎屢生、飯銭を索めらるる日有らん。」師、衆に示して云く、
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『驢鞍橋』卷中同録。竜牙問う、如何なるか是れ祖師西来意。臨済曰く、我が与に禅版を過し来れ。牙便ち禅版を過して済に与う。済接得して便ち打つ。牙云く、打つことは即ち打つに任す、要且つ祖師意無し。牙後に翠微に到って問う、如何なるか是れ祖師西来意。微云く、我が与に蒲団を過し来れ。牙便ち蒲団を過して翠微に与う。微接得して便ち打つ。牙云く、打つことは即ち打つに任す、要且つ祖師意無し。牙住院の後、僧有り入室請益して云く、和尚行脚の時、二尊宿に参ず、因縁還た他を肯うや也た無や。牙云く、肯うことは即ち深く肯う、要は祖師意無し。一僧問ふ、竜牙昔日翠微、臨済の二尊宿に参して問話すれ共、因縁不契といふ人あり、是也や。師云はく、如何にしても、此の問答未悟の働にあらす、慥に竜牙悟上の勘弁也。
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『臨済録』示衆爾が一念心の疑ふ處、是れ魔なり。爾若し萬法無生、心は幻化の如く、更に一塵・一法も無しと達得せば、處處清淨、是れ佛なり。然れども佛と魔とは是れ染・淨の二境なり。山僧が見處に約せば、佛無く、眾生無く、古無く、今無し。得る者は便ち得て、時節を歷ず。修無く、證無く、得無く、失無く、一切時中更に別法無し。設ひ一法の此に過ぐる者有らば、我れ説かん、夢の如く化の如しと。山僧が説く所は皆な是れなり。道流、即今目前に孤明歷歷地として聽く者、此の人處處に滯らず、十方に通貫し、三界に自在なり。一切の境差別に入るも回換すること能はず、一剎那の間に法界に透入し、佛に逢うては佛を説き、祖に逢うては祖を説き、羅漢に逢うては羅漢を説き、餓鬼に逢うては餓鬼を説く。一切處に向かって國土に游履し眾生を教化するも、未だ嘗て一念を離れず。隨處に清淨、光は十方に透り、萬法一如なり。道流、大丈夫兒、今日方に本來無事なるを知る。秖だ爾が信ずること及ばず、念念に馳求し、頭を捨てて頭を覓め、自ら歇むこと能はざるが為なり。
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『臨済録』示衆道流、爾如法の見解を得んと欲せば、但だ人の惑を受くる莫かれ。裏に向かひ外に向かひ、逢著すれば便ち殺せ。佛に逢うては佛を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し、親眷に逢うては親眷を殺して、始めて解脫を得ん。物と拘はらず、透脫自在なり。諸方の學道流の如きは、未だ物に依らずして出で來る底有らず。山僧、此の間に向かって頭より打つ。手上より出で來れば手上に打ち、口裏より出で來れば口裏に打ち、眼裏より出で來れば眼裏に打つ。未だ一箇の獨脫して出で來る底有らず。皆な是れ他の古人の閑機境に上る。山僧一法の人に與ふる無し。秖だ是れ病を治し縛を解くのみ。爾諸方の道流、試みに物に依らずして出で來れ。我れ爾と共に商量せんことを要す。十年五歲並びに一人も無し。皆な是れ草に依り葉に附く竹木の精靈、野狐の精魅にして、一切の糞塊の上に向かって亂咬する瞎漢なり。枉げて他の十方の信施を消して、我は是れ出家兒なりと道ふ。是くの如きの見解を作す。爾に向かって道はん、『佛無く、法無く、修無く、證無し。秖だ與麼に傍家に擬して什麼物をか求めん』と。瞎漢、頭上に頭を安く。是れ爾に什麼をか欠少せる。
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『臨済録』示衆問ふ、「如何なるか是れ真佛・真法・真道。乞ふ開示を垂れよ」と。師云く、「佛とは、心の清淨なる是れなり。法とは、心の光明なる是れなり。道とは、處處無礙の淨光是れなり。三は即ち一にして、皆な是れ空名にして寔有無し。真正に道を學ぶ人の念念に心間斷せざるが如し。達磨大師の西土より來りしより、秖だ是れ箇の人の惑を受けざる底の人を覓む。後に二祖に遇ひ、一言にして便ち了る。始めて從前虛しく功夫を用ゐしを知る。山僧が今日の見處は祖佛と別ならず。若し第一句中に得ば、祖佛と師と為らん。若し第二句中に得ば、人天と師と為らん。若し第三句中に得ば、自ら救ふも了せじ」と。
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