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臨済録 / 示衆

「爾道佛有六通是不可思議。一切諸天、神仙、阿修羅、大力鬼亦有神通,應是佛否?道流莫錯,秖如阿修羅與天帝釋戰,戰敗領八萬四千眷屬入藕絲孔中藏。莫是聖否?如山僧所舉,皆是業通、依通。夫如佛六通者不然,入色界不被色惑、入聲界不被聲惑、入香界不被香惑、入味界不被味惑、入觸界不被觸惑、入法界不被法惑,所以達六種色、聲、香、味、觸、法皆是空相,不能繫縛。此無依道人,雖是五蘊漏質,便是地行神通。

新字:「爾道仏有六通是不可思議。一切諸天、神仙、阿修羅、大力鬼亦有神通,応是仏否?道流莫錯,秖如阿修羅与天帝釈戦,戦敗領八万四千眷属入藕糸孔中蔵。莫是聖否?如山僧所舉,皆是業通、依通。夫如仏六通者不然,入色界不被色惑、入声界不被声惑、入香界不被香惑、入味界不被味惑、入触界不被触惑、入法界不被法惑,所以達六種色、声、香、味、触、法皆是空相,不能繋縛。此無依道人,雖是五蘊漏質,便是地行神通。

書き下し

「爾道ふ、佛に六通有るは是れ不可思議なりと。一切の諸天・神仙・阿修羅・大力鬼も亦た神通有り。應に是れ佛なるべきや。道流錯る莫かれ。秖だ阿修羅と天帝釋と戰ひ、戰ひ敗れて八萬四千の眷屬を領して藕絲の孔中に入りて藏るるが如し。莫や是れ聖なるか。山僧が舉ぐる所の如きは、皆な是れ業通・依通なり。夫れ佛の六通の如きは然らず。色界に入るも色に惑はされず、聲界に入るも聲に惑はされず、香界に入るも香に惑はされず、味界に入るも味に惑はされず、觸界に入るも觸に惑はされず、法界に入るも法に惑はされず。所以に六種の色・聲・香・味・觸・法は皆な是れ空相にして、繫縛すること能はずと達す。此の無依の道人は、是れ五蘊漏質なりと雖も、便ち是れ地行の神通なり。

現代語訳

「おまえたちは、仏に六神通があるのは不可思議だと言う。だが一切の諸天・神仙・阿修羅・大力鬼にも神通はある。ならば彼らも仏なのか。道流よ、間違えるな。阿修羅が帝釈天と戦って敗れ、八万四千の眷属を引き連れて蓮の糸の穴の中に入って隠れた、というようなものだ。あれが聖なのか。わしが挙げたようなものは、みな業による通力、他に依った通力である。仏の六神通はそうではない。色の世界に入っても色に惑わされず、声の世界に入っても声に惑わされず、香の世界に入っても香に惑わされず、味の世界に入っても味に惑わされず、触の世界に入っても触に惑わされず、法の世界に入っても法に惑わされない。だから六種の色・声・香・味・触・法はみな空の姿であって、縛ることができないと悟りきっている。この何にも依らない道人は、五蘊のもれある身であっても、そのまま地を行く神通である。

解説

神通力をどう見るかという話である。臨済はまず、神通を持つ者なら他にもいると言う。天も神仙も阿修羅も鬼も持っている。ならば彼らも仏なのか、と問い返す。そして例に挙げるのが、敗れた阿修羅が蓮の糸の穴に八万四千の眷属を連れて隠れたという話だ。不可思議には違いないが、逃げ隠れに使っているだけである。「莫や是れ聖なるか」——あれが聖か、という一言に軽蔑がにじむ。臨済はこれを「業通・依通」と呼ぶ。業の力で得た通力、何かに依った通力にすぎない。では仏の六神通は何か。定義がまるで違う。色に惑わされない、声に惑わされない、と六つとも「惑わされない」で説明される。何かができるようになる力ではなく、何かに巻き込まれない力である。締めが良い。「五蘊漏質なりと雖も、便ち是れ地行の神通なり」——欠陥だらけの生身のままで、地面を歩いていることがそのまま神通だ。空を飛ぶ必要はない。

この章句が説くこと

六神通業通依通五蘊漏質地行神通惑わされない力

この一句を、あなたの毎日に。

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