臨済録 / 示衆
爾一念心疑處是魔;爾若達得萬法無生,心如幻化,更無一塵、一法,處處清淨是佛。然佛與魔是染、淨二境,約山僧見處,無佛、無眾生,無古、無今,得者便得,不歷時節,無修、無證,無得、無失,一切時中更無別法。設有一法過此者,我說如夢、如化。山僧所說皆是。道流!即今目前孤明歷歷地聽者,此人處處不滯,通貫十方,三界自在,入一切境差別不能回換,一剎那間透入法界,逢佛說佛、逢祖說祖、逢羅漢說羅漢、逢餓鬼說餓鬼,向一切處游履國土教化眾生未曾離一念,隨處清淨,光透十方,萬法一如。道流!大丈夫兒今日方知本來無事,秖為爾信不及,念念馳求,捨頭覓頭,自不能歇。
新字:爾一念心疑処是魔;爾若達得万法無生,心如幻化,更無一塵、一法,処処清浄是仏。然仏与魔是染、浄二境,約山僧見処,無仏、無眾生,無古、無今,得者便得,不歴時節,無修、無證,無得、無失,一切時中更無別法。設有一法過此者,我説如夢、如化。山僧所説皆是。道流!即今目前孤明歴歴地聴者,此人処処不滞,通貫十方,三界自在,入一切境差別不能回換,一剎那間透入法界,逢仏説仏、逢祖説祖、逢羅漢説羅漢、逢餓鬼説餓鬼,向一切処游履国土教化眾生未曽離一念,随処清浄,光透十方,万法一如。道流!大丈夫児今日方知本来無事,秖為爾信不及,念念馳求,捨頭覓頭,自不能歇。
書き下し
爾が一念心の疑ふ處、是れ魔なり。爾若し萬法無生、心は幻化の如く、更に一塵・一法も無しと達得せば、處處清淨、是れ佛なり。然れども佛と魔とは是れ染・淨の二境なり。山僧が見處に約せば、佛無く、眾生無く、古無く、今無し。得る者は便ち得て、時節を歷ず。修無く、證無く、得無く、失無く、一切時中更に別法無し。設ひ一法の此に過ぐる者有らば、我れ説かん、夢の如く化の如しと。山僧が説く所は皆な是れなり。道流、即今目前に孤明歷歷地として聽く者、此の人處處に滯らず、十方に通貫し、三界に自在なり。一切の境差別に入るも回換すること能はず、一剎那の間に法界に透入し、佛に逢うては佛を説き、祖に逢うては祖を説き、羅漢に逢うては羅漢を説き、餓鬼に逢うては餓鬼を説く。一切處に向かって國土に游履し眾生を教化するも、未だ嘗て一念を離れず。隨處に清淨、光は十方に透り、萬法一如なり。道流、大丈夫兒、今日方に本來無事なるを知る。秖だ爾が信ずること及ばず、念念に馳求し、頭を捨てて頭を覓め、自ら歇むこと能はざるが為なり。
現代語訳
おまえの一念の心が疑うところ、それが魔である。おまえがもし、あらゆるものは生じることなく、心は幻のようで、一粒の塵も一つの法もないと悟りきれば、いたるところが清らかで、それが仏である。しかし仏と魔とは、汚れと清らかさという二つの境にすぎない。わしの見るところでは、仏もなく、衆生もなく、昔もなく、今もない。得る者はそのまま得るのであって、時間を経ない。修めることもなく、証することもなく、得ることもなく、失うこともなく、いついかなるときも別の法などない。もしこれを超える法が一つでもあるなら、わしはそれを夢のようだ、幻のようだと言おう。わしの説くところはみなこれだ。道流よ、いま目の前でただ一つ明らかにはっきりと聴いている者、この人はどこにいても滞らず、十方に貫き通り、三界に自在である。あらゆる境涯の差別に入っても引きずり回されず、一刹那のうちに法界に透り入り、仏に逢えば仏を説き、祖に逢えば祖を説き、羅漢に逢えば羅漢を説き、餓鬼に逢えば餓鬼を説く。いたるところで国土を巡り衆生を教化しても、一念を離れたことがない。どこにいても清らかで、光は十方に透り、万法は一如である。道流よ、大丈夫たる者は、今日はじめて本来無事であることを知る。ただおまえが信じきれず、思いのたびに走り求め、自分の頭を捨てて頭を探し、自分で止められずにいるだけだ。