六韜 / 武騎士
武王問太公曰:「選騎士奈何?」太公曰:「選騎士之法,取年四十已下,長七尺五寸已上,壯健捷疾,超絕倫等,能馳騎彀射,前後、左右周旋進退,越溝塹,登丘陵,冒險阻,絕大澤,馳強敵,亂大眾者,名曰武騎之士,不可不厚也。」
新字:武王問太公曰:「選騎士奈何?」太公曰:「選騎士之法,取年四十已下,長七尺五寸已上,壮健捷疾,超絶倫等,能馳騎彀射,前後、左右周旋進退,越溝塹,登丘陵,冒険阻,絶大沢,馳強敵,乱大衆者,名曰武騎之士,不可不厚也。」
書き下し
武王(ぶおう)太公(たいこう)に問(と)ひて曰(いは)く、「騎士(きし)を選(えら)ぶこと奈何(いかん)」と。太公曰く、「騎士を選ぶの法(ほう)は、年(とし)四十(しじゅう)已下(いか)、長(たけ)七尺五寸(しちしゃくごすん)已上(いじょう)を取(と)り、壮健(そうけん)捷疾(しょうしつ)にして、倫等(りんとう)に超絶(ちょうぜつ)し、能(よ)く馳騎(ちき)して彀射(こうしゃ)し、前後(ぜんご)左右(さゆう)に周旋(しゅうせん)進退(しんたい)し、溝塹(こうざん)を越(こ)え、丘陵(きゅうりょう)に登(のぼ)り、険阻(けんそ)を冒(をか)し、大沢(たいたく)を絶(わた)り、強敵(きょうてき)に馳(は)せ、大衆(たいしゅう)を乱(みだ)す者(もの)、名(な)づけて武騎(ぶき)の士(し)と曰(い)ふ。厚(あつ)くせざる可(べ)からざるなり」と。
現代語訳
武王が太公にたずねた。「騎兵を選ぶにはどうすればよいでしょうか」。太公が答えた。「騎兵を選ぶ法は、年齢は四十歳以下、身長は七尺五寸以上の者を取り、体は頑健ですばやく、同輩を抜きん出てすぐれ、馬を走らせながら弓を引いて射ることができ、前後左右に自在に向きを変え進退でき、堀や塹壕を飛び越え、丘陵を登り、険しい地形をものともせず、大きな沼沢を渡り、強敵に向かって駆け、大軍を突き崩すことができる者、これを武騎の士と名づけます。彼らを手厚く遇さないわけにはいきません」。
解説
武騎士の篇は、前章の武車士と対になる章で、騎兵の選抜基準を挙げたものです。並べられた条件を見ると、体力や敏捷さといった身体能力に加えて、馬を走らせながら弓を射る、堀を越え丘を登り沼を渡るといった、複合的で難度の高い動作が求められています。つまり単に強いだけの人ではなく、動きながら別のことができる人、条件の悪い場所でも動きを止めない人が求められているのです。ここには専門職に対する見方の要点があります。基礎体力という土台の上に、その職種固有の技術が積み重なり、さらにそれを不利な状況でも発揮できることが、一人前の条件だという構造です。人材育成の設計でも、この三層は使えます。基礎、専門技術、そして悪条件下での実行力。どこまで求めるのかを言語化しておけば、教育の順序も評価の物差しもぶれません。そして武車士と同じく、こうして選び抜いた人材には厚く報いよと結ばれている点も、忘れずにおきたいところです。
この章句が説くこと
武騎士騎兵専門技能人材選抜
関連する章句
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六韜・武車士武王(ぶおう)太公(たいこう)に問(と)ひて曰(いは)く、「車士(しゃし)を選(えら)ぶこと奈何(いかん)」と。太公曰く、「車士を選ぶの法(ほう)は、年(とし)四十(しじゅう)已下(いか)、長(たけ)七尺五寸(しちしゃくごすん)已上(いじょう)を取(と)り、走(はし)りて能(よ)く奔馬(ほんば)を逐(お)ひ、馳(は)するに及(およ)びて之(これ)に乗(の)り、前後(ぜんご)左右(さゆう)上下(じょうげ)に周旋(しゅうせん)し、能く旌旗(せいき)を縛束(ばくそく)し、力(ちから)能く八石(はちせき)の弩(ど)を彀(ひ)き、前後左右に射(い)て、皆(みな)便習(べんしゅう)なる者(もの)、名(な)づけて武車(ぶしゃ)の士(し)と曰(い)ふ。厚(あつ)くせざる可(べ)からざるなり」と。
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六韜・戦騎武王(ぶおう)太公(たいこう)に問(と)ひて曰(いは)く、「戦騎(せんき)奈何(いかん)」と。太公曰く、「騎(き)に十勝(じっしょう)九敗(きゅうはい)有(あ)り」と。武王曰く、「十勝(じっしょう)奈何」と。太公曰く、「敵人(てきじん)始(はじ)めて至(いた)り、行陳(こうじん)未(いま)だ定(さだ)まらず、前後(ぜんご)属(つづ)かざれば、其(そ)の前騎(ぜんき)を陥(おと)し、其の左右(さゆう)を撃(う)たば、敵人必ず走(はし)らん。敵人の行陳整斉(せいせい)堅固(けんご)にして、士卒(しそつ)闘(たたか)はんと欲(ほっ)せば、吾(わ)が騎(き)翼(つばさ)して去(さ)る勿(なか)れ、或(ある)いは馳(は)せて往(ゆ)き、或いは馳せて来(きた)り、其の疾(はや)きこと風(かぜ)の如(ごと)く、其の暴(あら)きこと雷(かみなり)の如く、白昼(はくちゅう)にして昏(くら)く、数(しばしば)旌旗(せいき)を更(あらた)め、衣服(いふく)を変易(へんえき)せば、其の軍(ぐん)克(か)つ可(べ)し。敵人の行陳固(かた)からず、士卒闘はざれば、其の前後に薄(せま)り、其の左右を猟(か)り、翼(つばさ)して之(これ)を撃たば、敵人必ず懼(おそ)れん。敵人暮(く)れて舎(やど)に帰(かへ)らんと欲し、三軍(さんぐん)恐駭(きょうがい)せば、其の両旁(りょうぼう)を翼し、疾(と)く其の後(うしろ)を撃ち、其の塁口(るいこう)に薄り、入(い)るを得(え)しむる無(な)くば、敵人必ず敗(やぶ)れん。敵人に険阻(けんそ)の保固(ほうこ)無(な)く、深(ふか)く入(い)り長駆(ちょうく)し、其の糧路(りょうろ)を絶(た)たば、敵人必ず飢(う)ゑん。地(ち)平(たひら)かにして易(やす)く、四面(しめん)に敵(てき)を見(み)れば、車騎(しゃき)之を陥(おと)し、敵人必ず乱(みだ)れん。敵人奔走(ほんそう)し、士卒散乱(さんらん)せば、或いは其の両旁を翼し、或いは其の前後を掩(おほ)はば、其の将(しょう)擒(とりこ)にす可し。敵人暮(く)れて返(かへ)り、其の兵(へい)甚(はなは)だ衆(おほ)くば、其の行陳必ず乱れん。我(わ)が騎をして十(じゅう)にして隊(たい)と為(な)し、百(ひゃく)にして屯(とん)と為し、車(しゃ)は五(ご)にして聚(しゅう)と為し、十にして群(ぐん)と為さしめ、多(おほ)く旌旗を設(もう)け、雑(まじ)ふるに強弩(きょうど)を以(もっ)てし、或いは其の両旁を撃ち、或いは其の前後を絶たば、敵将(てきしょう)虜(とりこ)にす可し。此(こ)れ騎の十勝なり」と。武王曰く、「九敗(きゅうはい)奈何」と。太公曰く、「凡(およ)そ騎を以て敵(てき)を陥(おと)さんとして陳(じん)を破(やぶ)る能(あた)はず、敵人佯(いつは)り走(はし)り、車騎を以て返(かへ)りて我(わ)が後(うしろ)を撃(う)つ、此れ騎の敗地(はいち)なり。北(にげ)るを追(お)ひて険(けん)を踰(こ)え、長駆(ちょうく)して止(や)まず、敵人我が両旁(りょうぼう)に伏(ふく)し、又(また)我が後を絶(た)つ、此れ騎の囲地(いち)なり。往(ゆ)きて以て返(かへ)る無(な)く、入(い)りて以て出(い)づる無し、是(こ)れを天井(てんせい)に陥(おちい)り、地穴(ちけつ)に頓(とど)まると謂(い)ふ、此れ騎の死地(しち)なり。従(よ)りて入(い)る所(ところ)は隘(せま)く、従りて出(い)づる所は遠(とほ)し、彼(かれ)弱(よわ)くして以て我(わ)が強(つよ)きを撃つ可(べ)く、彼寡(すく)なくして以て我が衆(おほ)きを撃つ可し、此れ騎の没地(ぼつち)なり。大澗(たいかん)深谷(しんこく)、翳薉(えいわい)たる林木(りんぼく)、此れ騎の竭地(けっち)なり。左右(さゆう)に水(みず)有(あ)り、前(まへ)に大阜(たいふ)有り、後(うしろ)に高山(こうざん)有り、三軍(さんぐん)両水(りょうすい)の間(あひだ)に戦(たたか)ひ、敵(てき)表裏(ひょうり)に居(を)る、此れ騎の艱地(かんち)なり。敵人我が糧道(りょうどう)を絶ち、往きて以て返る無し、此れ騎の困地(こんち)なり。汙下(おか)沮沢(そたく)、進退(しんたい)漸洳(ぜんじょ)たり、此れ騎の患地(かんち)なり。左に深溝(しんこう)有り、右に坑阜(こうふ)有り、高下(こうげ)平地(へいち)の如(ごと)く、進退して敵を誘(さそ)ふ、此れ騎の陥地(かんち)なり。此の九(きゅう)は騎の死地なり。明将(めいしょう)の遠(とほ)く避(さ)くる所以(ゆゑん)、闇将(あんしょう)の陥(おちい)り敗(やぶ)るる所以なり」と。
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六韜・均兵武王(ぶおう)太公(たいこう)に問(と)ひて曰(いは)く、「車(しゃ)を以(もっ)て歩卒(ほそつ)と戦(たたか)はば、一車(いっしゃ)は幾(いく)ばくの歩卒に当(あ)たり、幾ばくの歩卒は一車に当たるか。騎(き)を以て歩卒と戦はば、一騎(いっき)は幾ばくの歩卒に当たり、幾ばくの歩卒は一騎に当たるか。車を以て騎と戦はば、一車は幾ばくの騎に当たり、幾ばくの騎は一車に当たるか」と。太公曰く、「車(しゃ)は軍(ぐん)の羽翼(うよく)なり、堅陳(けんじん)を陥(おと)し、彊敵(きょうてき)を要(よう)し、走北(そうほく)を遮(さへぎ)る所以(ゆゑん)なり。騎は軍の伺候(しこう)なり、敗軍(はいぐん)を踵(お)ひ、糧道(りょうどう)を絶(た)ち、便寇(べんこう)を撃(う)つ所以なり。故(ゆゑ)に車騎(しゃき)敵(てき)と戦はざれば、則(すなは)ち一騎も歩卒一人(いちにん)に当たる能(あた)はず。三軍(さんぐん)の衆(しゅう)陳(じん)を成(な)して相(あひ)当(あ)たらば、則ち易戦(いせん)の法(ほう)は、一車は歩卒八十人(はちじゅうにん)に当たり、八十人は一車に当たる。一騎は歩卒八人(はちにん)に当たり、八人は一騎に当たる。一車は十騎(じっき)に当たり、十騎は一車に当たる。険戦(けんせん)の法は、一車は歩卒四十人(しじゅうにん)に当たり、四十人は一車に当たる。一騎は歩卒四人(よにん)に当たり、四人は一騎に当たる。一車は六騎(ろっき)に当たり、六騎は一車に当たる。夫(そ)れ車騎は軍の武兵(ぶへい)なり。十乗(じゅうじょう)は千人(せんにん)を敗(やぶ)り、百乗(ひゃくじょう)は万人(まんにん)を敗る。十騎は百人(ひゃくにん)を敗り、百騎(ひゃっき)は千人を走(はし)らす。此(こ)れ其(そ)の大数(たいすう)なり」と。武王曰く、「車騎の吏数(りすう)、陳法(じんぽう)柰何(いかん)」と。太公曰く、「車の吏数を置(お)くは、五車(ごしゃ)に一長(いっちょう)、十車(じっしゃ)に一吏(いちり)、五十車(ごじっしゃ)に一率(いっそつ)、百車(ひゃくしゃ)に一将(いっしょう)なり。易戦の法は、五車を列(れつ)と為(な)し、相(あひ)去(さ)ること四十歩(しじっぽ)、左右(さゆう)十歩(じっぽ)、隊間(たいかん)六十歩(ろくじっぽ)。険戦の法は、車は必ず道(みち)に循(したが)ひ、十車を聚(しゅう)と為し、二十車(にじっしゃ)を屯(とん)と為し、前後(ぜんご)相去ること二十歩(にじっぽ)、左右六歩(ろっぽ)、隊間三十六歩(さんじゅうろっぽ)、五車に一長。縦横(じゅうおう)相去ること二里(にり)、各(おのおの)故道(こどう)に返(かへ)る。騎の吏数を置くは、五騎(ごき)に一長、十騎に一吏、百騎に一率、二百騎(にひゃっき)に一将なり。易戦の法は、五騎を列と為し、前後相去ること二十歩、左右四歩(しほ)、隊間五十歩(ごじっぽ)。険戦は、前後相去ること十歩、左右二歩(にほ)、隊間二十五歩(にじゅうごほ)。三十騎(さんじっき)を一屯(いっとん)と為し、六十騎(ろくじっき)を一輩(いっぱい)と為し、十騎に一吏。縦横相去ること百歩(ひゃっぽ)、周環(しゅうかん)して各(おのおの)故処(こしょ)に復(かへ)る」と。武王曰く、「善(よ)い哉(かな)」と。
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