六韜 / 教戦
武王問太公曰:「合三軍之眾。欲令士卒練士教戰之道,奈何?」太公曰:「凡領三軍,有金鼓之節,所以整齊士眾者也。將必先明告吏士,申之以三令,以教操兵起居、旌旗指麾之變法。故教吏士:使一人學戰,教成,合之十人;十人學戰,教成,合之百人;百人學戰,教成,合之千人;千人學戰,教成,合之萬人;萬人學戰,教成,合之三軍之眾;大戰之法,教成,合之百萬之眾。故能成其大兵,立威於天下。」武王曰:「善哉。」
新字:武王問太公曰:「合三軍之衆。欲令士卒練士教戦之道,奈何?」太公曰:「凡領三軍,有金鼓之節,所以整斉士衆者也。将必先明告吏士,申之以三令,以教操兵起居、旌旗指麾之変法。故教吏士:使一人学戦,教成,合之十人;十人学戦,教成,合之百人;百人学戦,教成,合之千人;千人学戦,教成,合之万人;万人学戦,教成,合之三軍之衆;大戦之法,教成,合之百万之衆。故能成其大兵,立威於天下。」武王曰:「善哉。」
書き下し
武王太公に問ひて曰く、「三軍(さんぐん)の衆(しゅう)を合(あは)せ、士卒(しそつ)をして士(し)を練(ね)り戦(たたか)ひを教(をし)ふるの道(みち)を令(れい)せんと欲(ほっ)す、奈何(いかん)」と。太公曰く、「凡(およ)そ三軍を領(りょう)するに、金鼓(きんこ)の節(せつ)有(あ)り、士衆(ししゅう)を整斉(せいせい)する所以(ゆゑん)なり。将(しょう)は必ず先(ま)づ明(あき)らかに吏士(りし)に告(つ)げ、之(これ)を申(かさ)ぬるに三令(さんれい)を以(もっ)てし、以て操兵(そうへい)起居(ききょ)、旌旗(せいき)指麾(しき)の変法(へんぽう)を教(をし)ふ。故(ゆゑ)に吏士を教ふるに、一人(いちにん)をして戦ひを学(まな)ばしめ、教(をしへ)成(な)らば、之を十人(じゅうにん)に合(あは)す。十人戦ひを学び、教成らば、之を百人(ひゃくにん)に合す。百人戦ひを学び、教成らば、之を千人(せんにん)に合す。千人戦ひを学び、教成らば、之を万人(まんにん)に合す。万人戦ひを学び、教成らば、之を三軍の衆に合す。大戦(たいせん)の法(ほう)、教成らば、之を百万(ひゃくまん)の衆に合す。故に能(よ)く其(そ)の大兵(たいへい)を成(な)し、威(い)を天下(てんか)に立(た)つ」と。武王曰く、「善(よ)い哉(かな)」と。
現代語訳
武王が太公にたずねた。「三軍の兵をひとつに合わせ、士卒を鍛え戦い方を教える道を実行したいのですが、どうすればよいでしょうか」。太公が答えた。「およそ三軍を統率するには、鉦と太鼓による合図の決まりがあり、これによって兵たちの動きをそろえるのです。将はまず役人と兵にはっきりと命令を告げ、繰り返し三度命令を確かめさせ、そのうえで武器の扱い、進退の動作、旗による指図の変化の仕方を教えます。そこで役人と兵を教えるにあたっては、まず一人に戦い方を学ばせ、それが身についたら十人に合わせます。十人が戦い方を学び、それが身についたら百人に合わせます。百人が学んで身についたら千人に合わせ、千人が学んで身についたら一万人に合わせ、一万人が学んで身についたら三軍全体に合わせます。大規模な戦いの法を学び終えれば、百万の兵にまで広げることができます。こうしてはじめて大軍を作り上げ、威信を天下に立てることができるのです」。武王は「よいことだ」と言った。
解説
この章句が説くこと
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