南洲翁遺訓 / 追加一
事に当り思慮の乏しきを憂ふること勿れ。凡そ思慮は平生黙坐靜思の際に於てすべし。有事の時に至り、十に八九は履行せらるるものなり。事に当り卒爾に思慮することは、譬へば臥床夢寐の中、奇策妙案を得るが如きも、明朝起床の時に至れば、無用の妄想に類すること多し。
新字:事に当り思慮の乏しきを憂ふること勿れ。凡そ思慮は平生黙坐静思の際に於てすべし。有事の時に至り、十に八九は履行せらるるものなり。事に当り卒爾に思慮することは、譬へば臥床夢寐の中、奇策妙案を得るが如きも、明朝起床の時に至れば、無用の妄想に類すること多し。
書き下し
事に当り思慮の乏しきを憂ふること勿れ。凡そ思慮は平生黙坐静思の際に於てすべし。有事の時に至り、十に八九は履行せらるるものなり。事に当り卒爾に思慮することは、譬へば臥床夢寐の中、奇策妙案を得るが如きも、明朝起床の時に至れば、無用の妄想に類すること多し。
現代語訳
事に当たって思慮の乏しいことを憂えてはならない。およそ思慮は、平生に黙って座り静かに思う際にすべきである。事が起こったときに至って、十のうち八、九は実行できるものである。事に当たってにわかに思慮することは、たとえば寝床で夢の中に奇策や妙案を得るようなものでも、翌朝起きたときには無用の妄想の類であることが多い。
解説
追加の第一条で、思考をいつするかという主題を扱う。「思慮は平生黙坐靜思の際に於てすべし」——考えるのは、何も起きていないときに、黙って座って静かに、と。事が起きてから考えるのでは遅い、という点は第二十二条の克己論と同じ構造である。面白いのは、その効果の見積もりが具体的なことだ。「有事の時に至り、十に八九は履行せらるるものなり」。平生に考えておけば、いざというとき八、九割は実行できる。全部とは言わない。そして「事に当り卒爾に思慮する」ことの危うさを、夢の比喩で説明する。寝床で思いついた妙案が、朝には無用の妄想に見える。切迫した場面での思いつきも、それと同類だ、と。急いでいるときほど良い考えが浮かんだ気がする、というのは経験のあることだろう。
この章句が説くこと
黙坐静思平生の思慮十に八九卒爾の思慮