南洲翁遺訓 / 第三十四条
作略は平日致さぬものぞ。作略を以てやりたる事は、其の跡を見れば善からざること判然にして、必ず悔い有る也。唯戦に臨みて作略無くばあるべからず。併し平日作略を用れば、戦に臨みて作略は出来ぬものぞ。孔明は平日作略を致さぬゆゑ、あの通り奇計を行はれたるぞ。予嘗て東京を引きし時、弟へ向ひ、是迄少しも作略をやりたる事有らぬゆゑ、跡は聊か濁るまじ、夫れ丈けは見れと申せしとぞ。
書き下し
作略は平日致さぬものぞ。作略を以てやりたる事は、其の跡を見れば善からざること判然にして、必ず悔い有る也。唯戦に臨みて作略無くばあるべからず。併し平日作略を用れば、戦に臨みて作略は出来ぬものぞ。孔明は平日作略を致さぬゆゑ、あの通り奇計を行はれたるぞ。予嘗て東京を引きし時、弟へ向ひ、是迄少しも作略をやりたる事有らぬゆゑ、跡は聊か濁るまじ、夫れ丈けは見れと申せしとぞ。
現代語訳
はかりごとは平生に用いないものだ。はかりごとによってやったことは、その跡を見れば善くないことが明らかで、必ず悔いがある。ただ戦に臨んではかりごとが無くてはならない。しかし平生にはかりごとを用いれば、戦に臨んではかりごとができないものだ。孔明は平生にはかりごとをしなかったから、あの通り奇計を行われたのだ。私はかつて東京を引き払ったとき、弟に向かって、これまで少しもはかりごとをやったことがないから、跡はいささかも濁るまい、それだけは見よ、と言ったという。
解説
一見すると矛盾した主張である。はかりごとを平生に使うな。しかし戦では必要だ。しかも平生に使っていると、いざという時に使えなくなる、と。理屈はこうだろう。平生から策を弄していれば周囲は警戒を解かず、手の内も読まれる。何より、常に策を用いる人の言葉は信用の残高を持たない。だから肝心なときに効かない。孔明が奇計を成功させられたのは、普段が正直だったからだ、という見立てである。策の効果は、策を使わない時間が支えている。西郷自身の例も添えられる。東京を引き払ったとき——征韓論に敗れて下野したときのことである。「是迄少しも作略をやりたる事有らぬゆゑ、跡は聊か濁るまじ」。去り際に濁りが残らないことを、平生の証拠として弟に示している。
この章句が説くこと
作略は平日致さぬ孔明の奇計跡は濁るまじ信用の残高
関連する章句
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言志四録・南洲手抄臨時の信は、功を平日に累ぬればなり。平日の信は、効を臨時に収むべし。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
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