南洲翁遺訓 / 第三十二条
道に志す者は、偉業を貴ばぬもの也。司馬温公は閨中にて語りし言も、人に対して言ふべからざる事無しと申されたり。独を慎むの学推て知る可し。人の意表に出て一時の快適を好むは、未熟の事なり、戒む可し。
書き下し
道に志す者は、偉業を貴ばぬもの也。司馬温公は閨中にて語りし言も、人に対して言ふべからざる事無しと申されたり。独を慎むの学推て知る可し。人の意表に出て一時の快適を好むは、未熟の事なり、戒む可し。
現代語訳
道に志す者は、偉業を貴ばないものである。司馬温公は、寝室の中で語った言葉も、人に対して言えないことは無いと言われた。独りを慎む学は、推して知るべきである。人の意表に出て一時の快適を好むのは、未熟なことである。戒めるべきだ。
解説
「道に志す者は、偉業を貴ばぬもの也」から始まる。大きな事を成すことを、価値の中心に置かない、という。そして代わりに置かれるのが、司馬光の逸話である。閨中——寝室で妻に語った言葉ですら、人前で言えないものは無かった。誰も見ていない場所での言葉と、公の場での言葉が一致している、ということだ。これを「独を慎むの学」と呼ぶ。『中庸』の慎独である。偉業と慎独。派手さの極致と、地味さの極致が対に置かれている。結びが実際的だ。「人の意表に出て一時の快適を好むは、未熟の事なり」。人を驚かせて気持ちよくなるのは未熟だ、と。奇抜さや意外性で評価を取りにいく振る舞いを、名指しで戒めている。第二十一条の「まづき仕事に陥いり」に至る道筋の、入り口にあたる。
この章句が説くこと
偉業を貴ばず独を慎む司馬温公意表に出る慎独人物眼
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司馬法・天子之義国に在りては言(げん)文にして語(ご)温かに、朝(ちょう)に在りては恭(きょう)にして以て遜(そん)、己を修めて以て人を待ち、召されざれば至らず、問われざれば言わず、進み難く退き易し。
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