南洲翁遺訓 / 第三十一条
道を行ふ者は、天下挙て毀るも足らざるとせず、天下挙て誉るも足れりとせざるは、自ら信ずるの厚きが故也。其の工夫は、韓文公が伯夷の頌を熟読して会得せよ。
書き下し
道を行ふ者は、天下挙て毀るも足らざるとせず、天下挙て誉るも足れりとせざるは、自ら信ずるの厚きが故也。其の工夫は、韓文公が伯夷の頌を熟読して会得せよ。
現代語訳
道を行う者は、天下がこぞって謗っても足りないとせず、天下がこぞって誉めても足れりとしないのは、自ら信じることが厚いからである。その工夫は、韓愈が伯夷を頌えた文を熟読して会得せよ。
解説
毀誉褒貶に動じない根拠を、一語で示す。「自ら信ずるの厚きが故也」。他人の評価に動かないのは、無関心だからでも強がりだからでもなく、自分で自分を信じる度合いが厚いからだ、と。ここで注意したいのは、謗りだけでなく誉めも並べられていることである。「天下挙て誉るも足れりとせざる」——全員が誉めても、それで足りたとはしない。褒められて満足してしまう人は、貶されれば凹む。両方を同じ一つの構えで受けている。実践の方法まで示されるのが西郷らしい。韓愈の「伯夷頌」を熟読せよ、と。伯夷は周の武王を諫めて容れられず、首陽山で餓死した人である。世が全員反対の側に回っても動かなかった例として引かれている。抽象論で終わらせず、読むべき文章を名指しする。
この章句が説くこと
毀誉褒貶自ら信ずるの厚き伯夷頌韓愈信念
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