南洲翁遺訓 / 第二十六条
己れを愛するは善からぬことの第一也。修業の出来ぬも、事の成らぬも、過を改むることの出来ぬも、功に伐り驕謾の生ずるも、皆自ら愛するが為なれば、決して己れを愛せぬもの也。
書き下し
己れを愛するは善からぬことの第一也。修業の出来ぬも、事の成らぬも、過を改むることの出来ぬも、功に伐り驕謾の生ずるも、皆自ら愛するが為なれば、決して己れを愛せぬもの也。
現代語訳
自分を愛するのは、よくないことの第一である。修業ができないのも、事が成らないのも、過ちを改めることができないのも、功を誇って驕り高ぶるのも、みな自らを愛するがためであるから、決して自分を愛さないものである。
解説
第二十一条で「自ら愛するを以て敗るる」と言われたことが、ここで四つの症状として並べられる。修業ができない。事が成らない。過ちを改められない。功を誇って驕る。原因はすべて一つ、自らを愛すること。四つとも身に覚えのある失敗ばかりで、しかもふつうは別々の原因に帰される。意志が弱い、運が悪い、素直でない、性格の問題。それを西郷は一本に束ねる。自分がかわいいから、苦しい修業を避け、難しい事から逃げ、非を認めれば傷つくから認めず、褒められたいから功を誇る。前条の「我を愛する心を以て人を愛する也」と並べると、線がどこにあるかが分かる。自分を愛することそのものではなく、自分だけを愛することが問題にされている。
この章句が説くこと
己れを愛するは善からぬことの第一四つの症状自愛驕慢修養自己責任
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