南洲翁遺訓 / 第二十五条
人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを尽し人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬ可し。
書き下し
人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己れを尽し人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬ可し。
現代語訳
人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くし人を咎めず、我が誠の足りないところを尋ねるべきである。
解説
四十九字。遺訓のなかでもっとも広く知られた一条だろう。「人を相手にせず、天を相手にせよ」。他人の評価や反応を基準にするのをやめ、天を基準にせよ、という。そのうえで具体的な作法が三つ並ぶ。己を尽くす。人を咎めない。自分の誠の足りないところを尋ねる。三つとも、視線が自分に向かっている。人を相手にすると、うまくいかないとき相手のせいになる。天を相手にすると、返ってくる先が自分しかない。これは孤高の勧めではなく、原因の置き場所を動かす話である。ただし厳しさもある。「我が誠の足らざるを尋ぬ可し」——足りないところを探せ、と言われれば必ず見つかる。逃げ場のない構えでもある。第十七条で「軽侮を招き」と人の反応を論じた同じ人が、こちらでは人の反応を見るなと言う。基準は天であって、どちらの条もそこから出ている。
この章句が説くこと
人を相手にせず天を相手にせよ己を尽くす人を咎めず誠の足らざるを尋ぬ慎独誠実
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