南洲翁遺訓 / 第二十二条
己に克つに、事事物物時に臨みて克つ様にては克ち得られぬなり。兼て気象を以て克ち居れよと也。
書き下し
己に克つに、事事物物時に臨みて克つ様にては克ち得られぬなり。兼て気象を以て克ち居れよと也。
現代語訳
己に克つのに、事ごと物ごとに、その時になってから克とうとするようでは克ち得られない。かねてから気構えをもって克っておれ、ということである。
解説
四十五字、遺訓のなかで最も短い条である。だが克己という主題については、これが最も実際的だろう。「事事物物時に臨みて克つ様にては克ち得られぬ」——その場になってから抑えようとしても間に合わない。誘惑や怒りが目の前に現れてから戦うのでは遅い、という。では何をするのか。「兼て気象を以て克ち居れよ」。あらかじめ、気構えとして克っておく。個別の戦いではなく、常時の構えとして持っておけ、という話である。前条の「睹ず聞かざる所に戒慎する」と対になっている。誰も見ていないところ、何も起きていないときに、すでに決まっている。意志の力で瞬間に耐えるのではなく、耐える必要が生じない状態を先に作っておく、という順序である。
この章句が説くこと
克己時に臨みて克つ兼て気象を以て常時の構え
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