南洲翁遺訓 / 第十二条
西洋の刑法は専ら懲戒を主として苛酷を戒め、人を善良に導くに注意深し。故に囚獄中の罪人をも、如何にも緩るやかにして鑑誠となる可き書籍を与へ、事に因りては親族朋友の面会をも許すと聞けり。尤も聖人の刑を設けられしも、忠孝仁愛の心より鰥寡孤独を愍み、人の罪に陥いるを恤ひ給ひしは深けれども、実地手の届きたる今の西洋の如く有りしにや、書籍の上には見え渡らず、実に文明ぢやと感ずる也。
書き下し
西洋の刑法は専ら懲戒を主として苛酷を戒め、人を善良に導くに注意深し。故に囚獄中の罪人をも、如何にも緩るやかにして鑑誠となる可き書籍を与へ、事に因りては親族朋友の面会をも許すと聞けり。尤も聖人の刑を設けられしも、忠孝仁愛の心より鰥寡孤独を愍み、人の罪に陥いるを恤ひ給ひしは深けれども、実地手の届きたる今の西洋の如く有りしにや、書籍の上には見え渡らず、実に文明ぢやと感ずる也。
現代語訳
西洋の刑法はもっぱら懲戒を主として苛酷を戒め、人を善良に導くことに注意が深い。だから牢獄の中の罪人に対しても、実にゆるやかにして、戒めとなるような書籍を与え、事によっては親族や友人の面会をも許すと聞いている。もっとも聖人が刑を設けられたのも、忠孝仁愛の心から、身寄りのない者を憐れみ、人が罪に陥るのを気の毒に思われたからで、その心は深いけれども、実地に手の届いた今の西洋のようであったかどうかは、書物の上には見えてこない。実に文明だと感心するのである。
解説
前条で「西洋は野蛮じや」と言った同じ人が、この条では「実に文明ぢやと感ずる也」と言う。二つを並べて読むと、西郷の物差しが一貫していることが分かる。弱い相手への扱いで測るのである。植民地に対する残忍さは野蛮であり、囚人に対する扱いのこまやかさは文明である。同じ基準で、同じ相手を、場面ごとに評価している。さらに正直なのは、古代の聖人と比べたときの言い方だ。聖人の心は深かったけれども「実地手の届きたる今の西洋の如く有りしにや、書籍の上には見え渡らず」——心が深かったことは書いてあるが、実際に手が届いていたかどうかは書物からは分からない、と。心の高さではなく、実地に届いているかで測っている。
この章句が説くこと
西洋の刑法懲戒実地手の届く同じ物差し