南洲翁遺訓 / 第十条
人智を開発するとは、愛国忠孝の心を開くなり。国に尽し家に勤むるの道明かならば、百般の事業は従て進歩す可し。或は耳目を開発せんとて、電信を懸け、鉄道を敷き、蒸気仕掛けの器械を造立し、人の耳目を聳動すれども、何故電信鉄道の無くて叶はぬぞ欠くべからざるものぞと云ふ処に目を注がず、猥りに外国の盛大を羨み、利害得失を論ぜず、家屋の構造より玩弄物に至る迄、一一外国を仰ぎ、奢侈の風を長じ、財用を浪費せば、国力疲弊し、人心浮薄に流れ、結局日本身代限りの外有る間敷也。
書き下し
人智を開発するとは、愛国忠孝の心を開くなり。国に尽し家に勤むるの道明かならば、百般の事業は従て進歩す可し。或は耳目を開発せんとて、電信を懸け、鉄道を敷き、蒸気仕掛けの器械を造立し、人の耳目を聳動すれども、何故電信鉄道の無くて叶はぬぞ欠くべからざるものぞと云ふ処に目を注がず、猥りに外国の盛大を羨み、利害得失を論ぜず、家屋の構造より玩弄物に至る迄、一一外国を仰ぎ、奢侈の風を長じ、財用を浪費せば、国力疲弊し、人心浮薄に流れ、結局日本身代限りの外有る間敷也。
現代語訳
人の智を開発するとは、国を愛し忠孝を尽くす心を開くことである。国に尽くし家に勤める道が明らかであれば、あらゆる事業はそれに従って進歩するはずだ。あるいは耳目を開こうとして、電信を架け、鉄道を敷き、蒸気仕掛けの機械を造り、人の耳目を驚かせても、なぜ電信や鉄道がなくてはならないのか、欠くことのできないものなのか、というところに目を注がず、みだりに外国の盛大さを羨み、利害得失を論じず、家屋の構造から玩具に至るまで一つひとつ外国を仰ぎ、奢りの風を助長し、財を浪費するなら、国力は疲弊し、人心は浮ついて、結局は日本の身代限りしかあるまい。
解説
文明開化の只中で書かれた、技術導入への批判である。急所は「何故電信鉄道の無くて叶はぬぞ欠くべからざるものぞと云ふ処に目を注がず」——なぜそれが要るのかを問わないまま入れる、という一点だ。西郷は電信や鉄道そのものを否定していない。「無くて叶はぬ」ものかどうかを考えないことを否定している。そして「猥りに外国の盛大を羨み、利害得失を論ぜず」と続く。羨ましさが判断の代わりになっている状態だ。結びの「日本身代限り」は破産のことである。新しい道具が次々に出てくるいまのほうが、この条は読みやすいかもしれない。要るから入れるのか、よそが入れているから入れるのか。
この章句が説くこと
人智の開発電信鉄道利害得失を論ぜず身代限り