無門関 / 第二十則 大力量人
松源和尚云。大力量人因甚抬腳不起。又云。開口不在舌頭上。
新字:松源和尚云。大力量人因甚抬脚不起。又云。開口不在舌頭上。
書き下し
松源和尚云く、「大力量の人、甚(なに)に因りてか腳を抬(あ)ぐるに起たざる」。又た云く、「開口は舌頭上に在らず」。
現代語訳
松源和尚が言った。「大力量の人が、なぜ足を上げても立ち上がれないのか」。また言った。「口を開くのは、舌の上にあるのではない」。
解説
力があるはずの人が動けない。無門は「松源は腸を傾け腹を倒したと言える。ただ引き受ける人が欠けているだけだ」と言う。答えは出ているのに、受け取る側がいない。頌は「腳を抬げて香水海を踏翻し、頭を低れて四禪天を俯視す」。それだけの力を持ちながら、その渾身を置く場所が無い。有能な人ほど陥る。力はある。にもかかわらず一歩が出ない。足りないのは能力ではなく、引き受ける当事者が自分だという承認である。
この章句が説くこと
大力量人抬脚不起引き受ける人が欠けている開口は舌頭上に在らず
関連する章句
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