無門関 / 第十二則 巖喚主人
瑞巖彥和尚。每日自喚主人公。復自應諾。乃云。惺惺著喏。他時異日。莫受人瞞。喏喏。
新字:瑞巖彦和尚。毎日自喚主人公。復自応諾。乃云。惺惺著喏。他時異日。莫受人瞞。喏喏。
書き下し
瑞巖の彥和尚、每日自ら主人公と喚び、復た自ら應諾す。乃ち云く、「惺惺著(せいせいじゃく)」。「喏(だく)」。「他時異日、人の瞞(まん)を受くること莫かれ」。「喏喏」。
現代語訳
瑞巌の彦和尚は毎日、自分で自分を「主人公」と呼び、自分で「はい」と答えた。そして言う。「はっきり目を覚ましていろ」。「はい」。「いつの日も、人にだまされるな」。「はい、はい」。
解説
一人二役の自問自答である。無門はこれを「自分で買って自分で売っている」と笑い、真似ればみな野狐の見解だと切って捨てる。それでもこの則が残ったのは、呼ぶ自分と応える自分がいるという事実そのものが要点だからである。目を覚ませと言う自分がいる。それに応じる自分がいる。どちらが主人公か。経営者は一人でいる時間が長い。誰も指摘してくれない立場に立ったとき、自分を呼ぶ声を自分の中に持てるかどうかが分かれ目になる。ただし形だけ真似れば、無門の言うとおり茶番になる。
この章句が説くこと
主人公自問自答惺惺著人の瞞を受くること莫かれ
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