孟子 / 盡心章句下
曾皙嗜羊棗。而曾子不忍食羊棗。公孫丑問曰、膾炙與羊棗孰美。孟子曰、膾炙哉。公孫丑曰、然則曾子何為食膾炙而不食羊棗。曰、膾炙所同也、羊棗所獨也。諱名不諱姓、姓所同也、名所獨也。
新字:曽皙嗜羊棗。而曽子不忍食羊棗。公孫丑問曰、膾炙与羊棗孰美。孟子曰、膾炙哉。公孫丑曰、然則曽子何為食膾炙而不食羊棗。曰、膾炙所同也、羊棗所独也。諱名不諱姓、姓所同也、名所独也。
書き下し
曾皙、羊棗を嗜む。而して曾子、羊棗を食らうに忍びず。公孫丑問いて曰く、「膾炙と羊棗とは孰れか美き。」孟子曰く、「膾炙なるかな。」公孫丑曰く、「然らば則ち曾子は何為れぞ膾炙を食らいて、羊棗を食らわざる。」曰く、「膾炙は同じうする所なるも、羊棗は獨りする所なればなり。名を諱みて姓を諱まざるは、姓は同じうする所なるも、名は獨りする所なればなり。」
現代語訳
曾子の父の曾皙は黒棗が好きだった。父の死後、曾子は黒棗を見ると父を思い出すので、それを食べるのに忍びなかったと言う。それについて公孫丑は尋ねた。 「膾や焼き肉と黒棗とはどちらが美味しいでしょうか。」 孟子は言った。 「膾や焼き肉だよ。」 公孫丑は言った。 「それならば父の曾皙も膾や焼き肉を食べていたはずなのに、どうして黒棗だけが父を思い出して食べるのに忍びなかったのでしょうか。」 「膾や焼き肉は誰もが好物とするものだが、黒棗は曾皙一人が好んだものだ。それは君や親の名は忌んで口にしないが、姓は忌まないのと同じである。姓は多くの人が共有するが、名は特定の人だけのものだからである。」
解説
自分にとって特別な存在である人を大切に思う気持ちは、時として非常に個人的でデリケートな形で表れることがあります。他の人にとっては取るに足らない些細な物事であっても、自分にとっては深い思い出や強い感情と結びついていることがあるのです。このような個人的な感情やこだわりは論理では割り切れないものであり、他人のそうした繊細な思いや個人的な価値観を理解し、尊重してあげる寛容さが、人間関係をより深めるためには必要不可欠です。