孟子 / 盡心章句下
孟子曰、舜之飯糗茹草也、若將終身焉。及其為天子也、被袗衣、鼓琴、二女果、若固有之。
新字:孟子曰、舜之飯糗茹草也、若将終身焉。及其為天子也、被袗衣、鼓琴、二女果、若固有之。
書き下し
孟子曰く、「舜の糗を飯い草を茹うや、將に身を終えんとするが若し。其の天子と為るに及びてや、袗(シン)衣を被り、琴を鼓し、二女果る、之を固有するが若し。」
現代語訳
孟子は言った。 「舜が微賤であったころ、乾し飯を食らい、草を食らい、生涯そうして暮らすように思われた。ところが堯から天子の位を譲られると、模様のある衣を着、琴を演奏し、堯の娘二人を娶って側に侍らせるようになったが、昔からそうであったかのように特にそれらに心を動かされることも無く、平然としていたそうだ。」
解説
人は環境や地位が変わると、傲慢になったり卑屈になったりと態度を変えてしまいがちです。しかし、本当に器の大きな人は、貧しい時でも悲観せず、豊かで高い地位に就いても有頂天になることはありません。どんな状況にあっても自分を見失わず、平常心を保ち続けることが大切です。現代でも、成功して急に態度が大きくなる人は信頼を失います。状況の変化に振り回されず、常にありのままの自然体で生きる強さを持ちたいものです。
この章句が説くこと
平常心器の大きさ環境に左右されない自然体
関連する章句
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「堯・舜は性のままなる者なり。湯・武は之に反るなり。動容周旋、禮に中る者は、盛德の至りなり。死を哭して哀しむは、生者の為に非ざるなり。經德回ならざるは、以て禄を干むるに非ざるなり。言語必ず信なるは、以て行いを正すに非ざるなり。君子は法を行いて、以て命を俟つのみ。」
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「舜の深山の中に居るや、木石と居り、鹿豕と游ぶ、其の深山の野人に異なる所以の者は幾ど希なり。其の一善言を聞き、一善行を見るに及びては、江河を決するが若く、沛然として之を能く御ぐ莫きなり。」
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『講孟余話』盡心下 第六章朱註に云く、「聖人の心は、貧賤を以て外に慕ふこと有らず、富貴を以て中に動くこと有らず。遇ふに随ひて安んじ、己に預かること無し。性とする所分定まるが故なり」と。余謂へらく、貧賤にても慕はず、富貴にても動かずと云ふは、枯禅に似たり。余は則ち謂ふ、舜は一種の至楽あり、故に貧賤にても慕ふに遑あらず、富貴にても動くに遑あらずと云ふべし。所謂至楽は即ち孔顔の楽にて、糗を飯ひ草を茹ふの楽は、又伊尹の「我豈に畎畝の中に処りて、是れに由りて以て堯舜の道を楽しむに若かんや」と同じ。天子為るの楽は、又「吾豈に吾が身を以て親しく之れを見るに若かんや」と同じ。伊尹の事、萬章上篇第七章に見ゆ。
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孟子・盡心章句上孟子、宋句踐に謂いて曰く、「子、遊を好むか。吾、子に遊を語らん。人、之を知るも亦た囂囂(ゴウ・ゴウ)たり。人、知らざるも亦た囂囂たり。」曰く、「何如なれば斯に以て囂囂たる可き。」曰く、「徳を尊び義を樂しめば、則ち以て囂囂たる可し。故に士は窮しても義を失わず、達しても道を離れず。窮しても義を失わず、故に士は己を得。達しても道を離れず、故に民は望みを失わず。古の人は、志を得れば、澤、民に加わり、志を得ざれば、身を修めて世に見わる。窮すれば則ち獨り其の身を善くし、達すれば則ち兼ねて天下を善くす。」
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「大人に説くには、則ち之を藐ぜよ。其の巍巍然たるを視ること勿れ。堂の高さ數仞、榱題數尺。我志を得るも為さざるなり。食前方丈、侍妾數百人。我志を得るも為さざるなり。般樂して酒を飲み、驅騁田獵し、後車千乘。我志を得るも為さざるなり。彼に在る者は、皆我が為さざる所なり。我に在る者は、皆古の制なり。吾何ぞ彼を畏れんや。」
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