孟子 / 盡心章句上
孟子曰、有為者、辟若掘井。掘井九軔、而不及泉、猶為棄井也。
書き下し
孟子曰く、「為す有る者は、辟えば井を掘るが若し。井を掘ること九軔にして、泉に及ばざれば、猶ほ井を棄つると為すなり。」
現代語訳
孟子は言った。 「仁義の道を全うしようととする者は、たとえば井戸を掘るようなものだ。九軔の深さまで井戸を掘っても、地下水に届かないと言って途中でやめてしまえば、自分から井戸を棄てたのと同じである。途中でやめてはいけない。」
解説
仁義の道を貫こうとする者を、孟子は井戸を掘る人にたとえます。九軔もの深さまで掘り進めても、水が出る手前でやめてしまえば、井戸を最初から棄てたのと同じだというのです。何事も最後までやり遂げなければ、途中で投げ出すのと同じであると戒める一節です。井戸を掘るように、あと少しで成果が出るというところで諦めてしまうことは、現代の仕事や学習でもよくあります。努力の量ではなく、最後まで続けたかどうかが結果を分けるという指摘は厳しくもありますが、困難に直面しても目標に向かって根気よく継続する力こそ、最終的な成功をつかむために不可欠なのです。
この章句が説くこと
継続やり抜く力諦めない
関連する章句
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「已む可からずに於いて已むる者は、已めざる所無し。厚くする所の者に於いて薄くするものは、薄くせざる所無し。其の進むこと銳き者は、其の退くこと速やかなり。」
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『講孟余話』盡心上 第二十九章一善を行へば一善己に存し、一益を得れば一益己に存す。一日を加ふれば一日の功あり、一年を加ふれば一年の功あり。人を教ふる者角こそ言ふべし。然らずして九軔の功も泉に及ばざれば井を棄つと云はば、人々退屈して遂に始めより一善一益も求めざるに至らんと云ふ者あり。此の説一理ありと云へども、道の明らかならざる所以、学の講ぜざる所以、皆此の語に原づくなり。此の章の如き誠に切実の学則にて、人々服膺すべきなり。凡そ学問の道、死して後已む。若し未だ死せずして半塗にして先づ廃すれば、前功皆棄つる者なり。学と云ふ者は進まざれば必ず退く。故に日に進み、月に漸み、遂に死すとも悔ゆることなくして、始めて学と云ふべし。然らざれば皆井を棄つるなり。
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『講孟余話』盡心上 第二十九章且つ曲芸を以て見るべし。書画を学ぶ者は、終身書画を学びて愈々己の不足を知る。若し「我は王羲之なり、我は顧愷之なり」と云ひて、已に其の極処に至るとし、廃絶せば、妄人と云ふべし。故に泉に及ぶと云ひても、学問の極処に至れば事已に畢ると云ふにはあらず。学記にも「学びて然る後に其の足らざるを知る」と云へり。学べば学ぶ程、益々高く益々堅きの味を知るなり。然れども井を掘るは水を得るが為なり、学を講ずるは道を得るが為なり。水を得ざれば、掘ること深しと云へども、井とするに足らず。道を得ざれば、講ずること勤むと云へども、学とするに足らず。因りて知る、井は水の多少に在りて、掘るの浅深に在らず。学は道の得否に在りて、勤むるの厚薄に在らざることを。
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