孟子 / 盡心章句上
孟子曰、霸者之民、驩虞如也。王者之民、皞皞如也。殺之而不怨、利之而不庸。民日遷善而不知為之者。夫君子所過者化、所存者神。上下與天地同流。豈曰小補之哉。
新字:孟子曰、覇者之民、驩虞如也。王者之民、皞皞如也。殺之而不怨、利之而不庸。民日遷善而不知為之者。夫君子所過者化、所存者神。上下与天地同流。豈曰小補之哉。
書き下し
孟子曰く、「霸者の民は、驩虞如たり。王者の民は、皞皞如たり。之を殺すも怨みず、之を利するも庸とせず。民、日に善に遷りて、而も之を為す者を知らず。夫れ君子の過ぐる所の者は化し、存する所の者は神なり。上下、天地と流を同じうす。豈に之を小補すと曰んや。」
現代語訳
孟子は言った。 「覇者の政治は、人民への恩沢を意識して行うので、人民は誰のおかげかたやすく知ることが出来、それを喜び楽しんでいる。だが王者の元で暮らしている人民は大らかに満足している。だから人民を殺すことがあっても、それは人民のためであることが分かっているので、誰も怨みに思わないし、逆に利益を与えても、それを王者の功績だと思って感謝することはない。人民は日ごとに善へ移っていくが、それが誰のおかげかは知らない。聖人が通り過ぎる所では、そこに住む者は皆徳に感化され、留まり住めば、その徳化は知らず知らずのうちに神々しくなり、上の者も下の者も、その営みは天地の営みと同じく自然なものである。覇者が少しばかりの恩恵を与えるのとは大きな違いである。」
解説
短期的な成果や利益で人を動かすやり方は、一時的な喜びをもたらしますが、根本的な信頼関係を築くことはできません。本当に優れたリーダーシップとは、ことさら恩着せがましく振る舞うのではなく、日々の誠実な態度や行動を通じて、自然と周囲の人々に良い影響を与えていくものです。家庭や職場においても、相手を思い通りにコントロールしようとするのではなく、まずは自分自身が正しい行いを心がけることで、周囲が自ずと良い方向へ変化していくような環境づくりが理想的です。
この章句が説くこと
リーダーシップ自然な感化信頼関係誠実さ
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