孟子 / 告子章句上
孟子曰:「欲貴者,人之同心也。人人有貴於己者,弗思耳矣。人之所貴者,非良貴也。趙孟之所貴,趙孟能賤之。《詩》云:『既醉以酒,既飽以德。』言飽乎仁義也,所以不愿人之膏粱之味也。令聞廣譽施於身,所以不愿人之文繡也。」
新字:孟子曰:「欲貴者,人之同心也。人人有貴於己者,弗思耳矣。人之所貴者,非良貴也。趙孟之所貴,趙孟能賤之。《詩》云:『既酔以酒,既飽以徳。』言飽乎仁義也,所以不愿人之膏粱之味也。令聞広誉施於身,所以不愿人之文繍也。」
書き下し
孟子曰く、「貴きを欲するは、人の同じき心なり。人人己に貴き者有り、思はざるのみ。人の貴しとする所の者は、良貴に非ざるなり。趙孟の貴くする所は、趙孟能く之を賤しくす。詩に云ふ、『既に酔ふに酒を以てし、既に飽くに徳を以てす。』と。仁義に飽くを言ふなり、人の膏粱の味を願はざる所以なり。令聞広誉身に施す、人の文繡を願はざる所以なり。」
現代語訳
孟子は言った。「尊くありたいと願うのは、人に共通する心である。人は誰でも自分の内に尊いものを持っているのに、それに思い至らないだけである。人から与えられる尊さは、本当の尊さ(良貴)ではない。趙孟(ちょうもう、晋の権勢ある卿)が尊くしてやったものは、趙孟がまた卑しくすることもできる。『詩経』に『酒にはもう酔い、徳にはもう満ち足りた』とある。これは仁義に満ち足りていることを言うのである。だから他人のごちそう(膏粱)の味を羨まない。よい評判と広い名誉がわが身にそなわれば、他人の美しい刺繍の衣服を羨むこともない。」
解説
孟子は、人から与えられる尊さと、自分の内にある本当の尊さ(良貴)を区別します。権力者の趙孟が与えた地位は、趙孟の気分ひとつで取り上げられてしまいます。それに対し、仁義という天から授かった尊さは誰にも奪われません。孟子は別の章で、仁義忠信を「天爵」、公卿大夫の位を「人爵」と呼び分けています。仁義に満ち足りていれば、他人のごちそうや豪華な衣服を羨む必要もなくなるというのです。現代でも、役職や肩書き、他人からの評価に尊さを求めると、それを与える人の顔色をうかがう生き方になりがちです。自分の内にある誠実さや思いやりに価値を置けば、評価に振り回されず落ち着いて働けるのではないでしょうか。
この章句が説くこと
承認欲求良貴天爵自己肯定感内面の豊かさ仁義
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『慎思録』巻之二孟子は天爵人爵を謂ふ。愚謂ふ、天爵は良貴なり。官爵無くして貴く、勢位無くして崇く、俸禄無くして足る。人の爵を朝廷に受くるが如きは、則ち貴し。然れども是れ人の進退する所にして、天の寵異する所に非ざるなり。君子は我に在る者を求む。故に求めて必ず之を得。小人は外に在る者を求む。故に之を求むと雖も得べからず。然れども求むと雖も得るに益無きを知らず、終身営々として、貪求して休まず。小人の長く戚々たる所以なり。
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『講孟余話』告子上 第十六章天爵有る者有り、人爵有る者有り。或ひと云く、天爵は公卿大夫の爵なくして人の尊ぶを云ふ。仁義忠信の人は、郷党之を敬し、州閭之を重んず。又孔孟の如き、一時に屈すと云へども、千歳論定まるの後は、堯舜禹湯などの尊き天子と肩を比べて論ず。後世天子と云へども、孔孟を以て比すれば、蹴然として安んぜざるの貌あり。桀紂も亦天子なり。今是を以て比すれば、卑賤の士と云へども、艴然として悦ばざるの色あるが如き、是れ天爵人爵の別なりと。余云く然らず。他人の敬重し後世の尊崇する如き、亦是れ人爵の類のみ。「善を楽しみて倦まず」の四字を深く味ふべし。本文に云ふ、「仁義忠信、善を楽しみて倦まず、此れ天爵なり」。他人へも後人へも拘ることに非ず。下章の「既に飽くに徳を以てす、人の膏梁の味を願はざる所以なり。令聞広誉身に施す、人の文繡を願はざる所以なり」を以て此の四字の味を解して益々明なり。論語に「一箪の食、一瓢の飲、陋巷に在り。人は其の憂ひに堪へず、回や其の楽しみを改めず」雍也と云ひ、又「疏食を飯ひ水を飲み、肱を曲げて之を枕とす、楽しみ亦其の中に在り。不義にして富み且つ貴きは、我に於て浮雲の如し」述而と云ふ類と義相通ず。皆己に楽しみて倦まざる所ありて、外物の貧富貴賤、吾が心の損益をなすに足らざるを云ふなり。陸放翁の句に「身は仕へざるに因りて尊し」と云ふも、詩人自ら興を寄するの語とは雖も、亦借りて天爵の義を解すべし。
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