孟子 / 告子章句上
孟子曰、拱把之桐梓、人苟欲生之、皆知所以養之者。至於身、而不知所以養之者。豈愛身不若桐梓哉。弗思甚也。
書き下し
孟子曰く、「拱把の桐梓も、人苟くも之を生ぜんと欲せば、皆之を養う所以の者を知る。身に至りては、之を養う所以の者を知らず。豈に身を愛すること桐梓に若かざらんや。思わざるの甚しきなり。」
現代語訳
孟子は言う。 「両手や片手でつかめるほどの太さの桐や梓の木も、これを育てようと思えば、誰でもその育て方を知っている。人は仁義を以て心を養うものなのに、わが身になると、それを忘れて養う方法が分からなくなってしまう。なんとわが身を愛することは、桐や梓にも及ばないのだろうか。事の軽重を知らないにもほどがある。」
解説
趣味の園芸やペットの世話、あるいは仕事のプロジェクトなど、自分の外側にあるものを育てることには熱心になれる一方で、自分自身の心を豊かに育てる方法については無関心な人が多いものです。本来、最も愛情を注ぎ、大切に育てなければならないのは自分自身の人間性です。読書をしたり、芸術に触れたり、他者との温かい交流を持ったりすることで、自分の心に栄養を与えることができます。外側の成果だけでなく、自分自身の内面を育むことにも時間と労力を投資するよう意識しましょう。
この章句が説くこと
自己投資心の栄養人間性内面を育てる
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