孟子 / 萬章章句下
孟子謂萬章曰、一鄉之善士、斯友一鄉之善士。一國之善士、斯友一國之善士。天下之善士、斯友天下之善士。以友天下之善士為未足、又尚論古之人。頌其詩、讀其書、不知其人、可乎。是以論其世也。是尚友也。
新字:孟子謂万章曰、一郷之善士、斯友一郷之善士。一国之善士、斯友一国之善士。天下之善士、斯友天下之善士。以友天下之善士為未足、又尚論古之人。頌其詩、読其書、不知其人、可乎。是以論其世也。是尚友也。
書き下し
孟子、萬章に謂いて曰く、「一鄉の善士は、斯に一鄉の善士を友とす。一國の善士は、斯に一國の善士を友とす。天下の善士は、斯に天下の善士を友とす。天下の善士を友とするを以て、未だ足らずと為すや、又古の人を尚論す。其の詩を頌し、其の書を讀むも、其の人を知らずして、可ならんや。是を以て其の世を論ず。是れ尚友なり。」
現代語訳
孟子が萬章に言った。 「村の優れた人物は、同じく村の優れた人物を友とする。一国の優れた人物は、同じく一国の優れた人物を友とする。天下の優れた人物は、やはり天下の優れた人物を友とする。天下の優れた人物を友としても、それでも満足できない場合は、さかのぼって古の人を論評して友とする。だが、いかに古人の作った詩を吟唱し、その書を読んでも、その人物を知らなければ、はじまらない。そこで古人の活動した時代を研究して、その環境や行いを知らばならない。これが尚友、乃ちさかのぼって古人を友とする、ということだ。」
解説
身近な人間関係に留まらず、歴史上の偉人や古典から学び、時空を超えた心の交流を持つことの豊かさを教えています。現代でも、素晴らしい本や芸術作品に触れることで、作者の思想や生き方に深く共感し、自分の人生の指標とすることができます。時代背景や環境を理解しようと深く探求することで、先人たちの知恵は現代を生きる私たちにとって、強力な味方であり、迷った時の羅針盤となってくれます。
この章句が説くこと
読書先人の知恵精神的な豊かさ監修清水直樹一般財団法人日本アントレプレナー学会代表理事
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『講孟余話』萬章下 第八章此の章汎く友道を論ず。其の帰宿する所は尚友の上にあり。「一郷の善士は斯に一郷の善士を友とし、一国の善士は斯に一国の善士を友とし、天下の善士は斯に天下の善士を友とす」と云ふは、特に其の才徳の高下に随ひて、交はる所の広狭あるの大略を云ふのみ。一郷の善士は必ず一国の善士を友とすること勿れ、一国の善士は必ず天下の善士を友とすること勿れと云ふには非ず。「其の詩を頌し、其の書を読み、其の世を論ず」、是れ孟子の学則なり。詩は詩経より以下歴代の歌詞を云ふべし。書は書経以下歴代の論議弁説を云ふべし。所謂右史言を記すと云ふ者にして、国語・戦国策・説苑等の類是に属す。世を論ずるは史冊を読みて其の行事を考ふるなり。所謂左史事を記すと云ふ者にして、左伝等此の類なり。史記・漢書以下は左右史の旨混じて一となると云へり。古書此の三体を分かつ。而して先づ詩書を読めば、古人の志尚議論の大略は知らるるなり。然れども人の志尚議論、各々其の時と地とを考へざれば、一概に云ひ難し。故に世を論ず。孟子中、禹稷顔淵及び曾子子思、地を易ふれば皆然りと云ひ、前聖後聖其の揆一なりと云ふ類を見て知るべし。且つ言過ぎて行及ばざるあり、行過ぎて言及ばざるあれば、彼此対較して大いに益あることなり。是を以て大抵孟子の学則を知るべし。詩書を頌読するは、仮に云はば、今の所謂経学の如し。世を論ずるは、仮に云はば、今の所謂史学の如し。故に孟子の学は経史を兼ぬ。
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孟子・萬章章句下萬章問いて曰く、「敢て友を問う。」孟子曰く、「長を挾まず、貴を挾まず、兄弟を挾まず、而して友たり。友なる者は、其の德を友とするなり。以て挾むこと有る可からざるなり。孟獻子は、百乘の家なり。友五人有り。樂正裘・牧仲、其の三人は則ち予之を忘れたり。獻子の此の五人の者と友たるや、獻子の家を無しとする者なり。此の五人の者も、亦た獻子の家を有りとせば、則ち之と友たらず。惟だ百乘の家のみ然りと為すに非ざるなり。小國の君と雖も亦た之れ有り。費の惠公曰く、『吾、子思に於いては、則ち之を師とす。吾、顏般に於いては、則ち之を友とす。王順・長息は則ち我に事うる者なり。』惟だ小國の君のみ然りと為すに非ざるなり。大國の君と雖も亦た之有り。晉の平公の亥唐に於けるや、入れと云えば則ち入り、坐せと云えば則ち坐し、食えと云えば則ち食う。疏食菜羹と雖も、未だ嘗て飽かずんばあらず。蓋し敢て飽かずんばあらざるなり。然れども此に終わるのみ。與に天位を共にせざるなり。與に天職を治めざるなり。與に天祿を食まざるなり。士の賢を尊ぶ者なり。非王公の賢を尊ぶに非ざるなり。舜尚せられて帝に見ゆ。帝、甥を貳室に館し、亦た舜を饗し、迭(たがいに)に賓主と為る。是れ天子にして匹夫を友とするなり。下を用て上を敬する、之を貴を貴ぶと謂う。上を用て下を敬する、之を賢を尊ぶと謂う。貴を貴び、賢を尊ぶ、其の義は一なり。」
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『幽夢影』巻下・字畫を觀るも古人を尚友す獨り其の詩を誦し、其の書を讀むのみ、是れ古人を尚友するに非ず。即ち其の字畫を觀るも、亦是れ古人を尚友する處なり。
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言志四録・言志後録 第百四十四条 読書は尚友なり書を読むも亦心学なり。必ず寧静を以てし、躁心を以てすること勿れ。必ず沈実を以てし、浮心を以てすること勿れ。必ず精深を以てし、粗心を以てすること勿れ。必ず荘敬を以てし、慢心を以てすること勿れ。孟子は読書を以て尚友と為す。故に経籍を読むは、即ち是れ厳師父兄の訓を聴くなり。史子を読むも、亦即ち明君賢相、英雄豪傑と相周旋するなり。其れ其の心を清明にして、以て之に対越せざるべけんや。
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孟子・盡心章句下孟子曰く、「聖人は百世の師なり。伯夷・柳下惠是れなり。故に伯夷の風を聞く者は、頑夫も廉に、懦夫も志を立つる有り。柳下惠の風を聞く者は、薄夫も敦く、鄙夫も寬なり。百世の上に奮い、百世の下、聞く者興起せざるは莫きなり。聖人に非ずんば、能く是の若くならんや。而るを況んや之に親炙する者に於いてをや。」 <語釈> ○「頑夫・懦夫」、趙注:頑は、貪なり、懦は、弱なり。○「鄙夫」、趙注:鄙は、狭なり。度量の狭いこと。○「親炙」、親しくその人に接して感化を受けること。親炙に浴するなどと今でも使われるが、その出典がここである。
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