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孟子 / 離婁章句下

公都子曰、匡章、通國皆稱不孝焉。夫子與之遊、又從而禮貌之。敢問何也。孟子曰、世俗所謂不孝者五。惰其四支、不顧父母之養、一不孝也。博弈好飲酒、不顧父母之養、二不孝也。好貨財、私妻子、不顧父母之養、三不孝也。從耳目之欲、以為父母戮、四不孝也。好勇鬭很、以危父母、五不孝也。章子有一於是乎。夫章子、子父責善而不相遇也。責善、朋友之道也。父子責善、賊恩之大者。夫章子、豈不欲有夫妻子母之屬哉。為得罪於父、不得近、出妻屏子、終身不養焉。其設心以為不若是、是則罪之大者。是則章子已矣。

新字:公都子曰、匡章、通国皆稱不孝焉。夫子与之遊、又従而礼貌之。敢問何也。孟子曰、世俗所謂不孝者五。惰其四支、不顧父母之養、一不孝也。博弈好飲酒、不顧父母之養、二不孝也。好貨財、私妻子、不顧父母之養、三不孝也。従耳目之欲、以為父母戮、四不孝也。好勇闘很、以危父母、五不孝也。章子有一於是乎。夫章子、子父責善而不相遇也。責善、朋友之道也。父子責善、賊恩之大者。夫章子、豈不欲有夫妻子母之属哉。為得罪於父、不得近、出妻屏子、終身不養焉。其設心以為不若是、是則罪之大者。是則章子已矣。

書き下し

公都子曰く、「匡章は、通國皆不孝と稱す。夫子之と遊び、又從って之を禮貌す。敢て問う何ぞや。」孟子曰く、「世俗の所謂不孝なる者は五あり。其の四支を惰り、父母の養いを顧みざるは、一の不孝なり。博奕し飲酒を好み、父母の養いを顧みざるは、二の不孝なり。貨財を好み、妻子に私して、父母の養いを顧みざるは、三の不孝なり。耳目の欲を從にして、以て父母の戮を為すは、四の不孝なり。勇を好みて鬭很し、以て父母を危うくするは、五の不孝なり。章子は是に一有るか。夫の章子は、子父、善を責めて、相遇わざるなり。善を責むるは、朋友の道なり。父子、善を責むるは、恩を賊うの大なる者なり。夫の章子は、豈に夫妻子母の屬有るを欲せざらんや。父に罪を得て、近づくことを得ざるが為に、妻を出だし子を屏け(しりぞける)て、終身養われず。其の心を設くるや以為えらく、是の若くならずんば、是れ則ち罪の大なる者なりと。是れ則ち章子のみ。」

現代語訳

弟子の公都子が言った。 「齊の匡章は国中の者が不孝者と呼んでいる人物ですのに、先生は彼と交際なさるばかりか、穏やかな顔で敬意を表して接しておられます。たっておうかいいたします。それはなぜでございましょうか。」 孟子は言った。 「世間で普通言われている不幸には五つある。手足を動かすことを怠り、父母への孝養を顧みないのが第一の不孝。博打や酒におぼれて、父母への孝養を顧みないのが第二の不孝。金儲けが好きで、妻子ばかりをかわいがって、父母への孝養を顧みないのが第三の不孝。耳目の欲におぼれて、親にまで恥をかかせるのが第四の不孝。蛮勇を誇り血気にはやってすぐに喧嘩したり口論したりして、親にまで危害を及ぼすのが第五の不孝である。章子にはこのうちの一つでもあるのか。あの章子は親子の間で、善を行え、と求め責めあって、意見が合わず仲たがいしてしまったのだ。善を責めあうのは、友人の間ですべき事である。それを親子の間で行えば、恩愛の情を著しくそこなってしまう。あの章子だって夫婦親子のだんらんを望まないはずはない。ただ父の怒りにふれて、側で孝養を尽くせないが為に、自分も妻を離縁し、子供を寄せ付けずして、生涯誰からの孝養も受け付けないようにしたのである。彼は心に、こうでもしなければ、より大きな罪を犯すことになる、と思ったのであろう。これが章子という人物だ。」

解説

世間から不孝者と呼ばれている人でも、実際には親を思い、互いに正しい道を求め合った結果としてすれ違ってしまった悲しい背景があるかもしれません。孟子が世間の評判に流されず、その人の本質を見て敬意を払ったように、私たちも噂や表面的な評価だけで人を判断してはいけません。親子や家族の関係には多様な形があり、その内側にある深い愛情や葛藤を理解しようとする寛容さが求められます。

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