孟子 / 梁惠王章句下
孟子謂齊宣王曰、王之臣有託其妻子於其友、而之楚遊者、比其反也、則凍餒其妻子、則如之何。王曰、棄之。曰、士師不能治士、則如之何。王曰、已之。曰、四境之內不治、則如之何。王顧左右而言他。
新字:孟子謂斉宣王曰、王之臣有託其妻子於其友、而之楚遊者、比其反也、則凍餒其妻子、則如之何。王曰、棄之。曰、士師不能治士、則如之何。王曰、已之。曰、四境之内不治、則如之何。王顧左右而言他。
書き下し
孟子、齊の宣王に謂いて曰く、「王の臣、其の妻子を其の友に託して、楚に之きて遊ぶ者有らんに、其の反るに比びてや、則ち其の妻子を凍餒(トウ・ダイ)せば、則ち之を如何せん。」王曰く、「之を棄てん。」曰く、「士師、士を治むること能わずんば、則ち之を如何せん。」王曰く、「之を已めん。」曰く、「四境の內、治まらずんば、則ち之を如何せん。」王、左右を顧みて他を言う。
現代語訳
孟子が齊の宣王に言った、 「王様のご家来で、自分の妻子を友人に預けて、楚の国へ旅行に行った者がいるとして、その者が国に帰ってきたら、友人が妻子を凍え飢えさせていたとしたら、その者をどうなさいますか。」 王は言った、 「そのような者は見限って、用いない。」 「裁判官がその部下を上手に管理することが出来ず、職務を果たせないとしたら、どうなさいますか。」 王は言った、 「これを罷免するであろう、」 「それでは、国内が治まらなかったら、どうなさいますか。」 王は自分の責任を言われていることに気づき、返事に困ってしまい、左右の者を見て、話をそらしてしまった。
解説
現代の職場で、部下に仕事を任せたり、大切なプロジェクトを託したりした結果、それが失敗に終わった場合、最終的な責任はそれを任命したリーダー自身にあります。他人の失敗を厳しく責める前に、自分自身が適切な環境を与え、正しい指示を出せていたかを深く問う必要があります。もし組織全体がうまくいっていないのであれば、トップ自らがその責任を真摯に受け止め、決して逃げずに解決に向き合う姿勢が求められます。それが真のリーダーの在り方です。
この章句が説くこと
リーダーの責任任命責任自己反省
関連する章句
-
史記 張丞相列伝蒼は本(もと)書を好み、観ざる所無く、通ぜざる所無し。而して尤も律歴に善し。張蒼、王陵を徳とす。王陵は、安国侯なり。蒼の貴きに及び、常に王陵に父事す。陵死して後、蒼丞相と為り、洗沐するに、常に先づ陵の夫人に朝して食を上(たてまつ)り、然る後に敢へて家に帰る。蒼丞相為ること十余年、魯人公孫臣上書して、漢は土徳の時にして、其の符に黄竜の当に見(あら)はるべき有りと言ふ。詔して其の議を張蒼に下す。張蒼以て是に非ずと為し、之を罷む。其の後黄竜成紀に見はる。是に於て文帝、公孫臣を召して以て博士と為し、土徳の歴・制度を草せしめ、元年を更(あらた)む。張丞相此れに由りて自ら絀(しりぞ)け、病を謝して老と称す。蒼、人を任じて中候と為す。大いに姦利を為す。上以て蒼を譲(せ)む。蒼遂に病みて免ぜらる。蒼丞相為ること十五歳にして免ぜらる。孝景の前五年、蒼卒す。謚して文侯と為す。子の康侯代はり、八年にして卒す。子の類代はりて侯と為る。八年、諸侯の喪に臨みて後れて位に就き不敬なるに坐して、国除かる。初め、張蒼の父の長(たけ)五尺に満たず。蒼を生むに及び、蒼は長八尺余、侯・丞相と為る。蒼の子復た長し。孫の類に及び、長六尺余、法に坐して侯を失ふ。蒼の相を免ぜられし後、老いて、口中に歯無く、乳を食ふ。女子を乳母と為す。妻妾百を以て数ふ。嘗て孕みし者は復た幸せず。蒼、年百有余歳にして卒す。
-
説苑・復恩魏の文侯田子方と語る、両僮子の青白の衣を衣て、君の前に侍する有り、子方曰く、「此れ君の寵子か」と。文侯曰く、「非ざるなり、其の父戦に死し、此れ其の幼孤なり、寡人之を収む」と。子方曰く、「臣君の賊心を以て足れりと為すに、今滋々甚し、君の此の子を寵するは、又且つ誰の父をか之を殺さんとするか」と。文侯愍然として曰く、「寡人令を受けたり」と。是より以後、兵革用ゐられず。
-
孟子・公孫丑章句下孟子、平陸に之き、其の大夫に謂いて曰く、「子の持戟の士、一日にして、三たび伍を失わば、則ち之を去るや否や。」曰く、「三たびを待たず。」「然らば則ち子の伍を失うや亦た多し。凶年饑歲には、子の民、老羸は溝壑に轉じ、壯者の散りて四方に之く者、幾千人ぞ。」曰く、「此れ距心の為すを得る所に非ざるなり。」曰く、「今、人の牛羊を受けて之が為に之を牧する者有らば、則ち必ず之が為に牧と芻とを求めん。牧と芻とを求めて得ずんば、則ち諸を其の人に反さんか。抑々亦た立ちて其の死を視んか。」曰く、「此れ則ち距心の罪なり。」他日、王に見えて曰く、「王の都を為むる者、臣、五人を知れり。其の罪を知る者は、惟だ孔距心のみ。」王の為に之を誦す。王曰く、「此れ則ち寡人の罪なり。」
-
孟子・公孫丑章句上孟子曰く、「矢人は豈に函人より不仁ならんや。矢人は唯だ人を傷つけざらんことを恐れ、函人は唯だ人を傷つけんことを恐る。巫匠も亦た然り。故に術は慎まざる可からざるなり。孔子曰く、『仁に里るを美と為す。擇んで仁に處らずんば、焉くんぞ智を得ん。』夫れ仁は、天の尊爵なり。人の安宅なり。之を禦むるもの莫くして不仁なるは、是れ不智なり。不仁・不智・無禮・無義は、人の役なり。人の役にして役を為すを恥づるは、由ほ弓人にして弓を為るを恥ぢ、矢人にして矢を為るを恥づるがごときなり。如し之を恥ぢなば、仁を為すに如くは莫し。仁者は射の如し。射る者は己を正しくて後に發す。發して中らずとも、己に勝つ者を怨みず。諸を己に反求するのみ。」
-
孔子家語・三恕孔子曰わく、「吾に齒とする所有り、鄙とする所有り、殆とする所有り。夫れ幼くして強学する能わず、老いて以て教うる無きは、吾之を恥ず。其の郷を去り君に事えて達し、卒に故人に遇うも、曾て舊言無きは、吾之を鄙とす。小人と処りて賢に親しむ能わざるは、吾之を殆とす。」
-
説苑・復恩東閭子嘗て富貴にして後に乞ふ、人之に問ひて曰く、「公何為れぞ是くの如きか」と。曰く、「吾自ら知る、吾嘗て相たること六七年、未だ嘗て一人をも荐めず、吾嘗て三千万を富むこと再びせしも、未だ嘗て一人をも富ましめず、士出身の咎然たるを知らざるなり。孔子曰く、『物の難きこと、小大多少各々怨悪有り、数の理なり、人にして之を得るは、外の之を仮すに在り』と」と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る