古語拾遺 / 録功酬庸
起自天降洎乎東征。扈從羣神名顯國史。或承皇天之嚴命。爲寶基之鎭衞。或遇昌運之洪啓。助神器之大造。然則至於錄功酬庸。須應同預祀典。或未入班幣之例。猶懷祕介推之恨。
新字:起自天降洎乎東征。扈従羣神名顕国史。或承皇天之厳命。為宝基之鎮衛。或遇昌運之洪啓。助神器之大造。然則至於録功酬庸。須応同預祀典。或未入班幣之例。猶懐秘介推之恨。
書き下し
天降より起こり東征に洎ぶまで、扈従の群神、名は国史に顕る。或いは皇天の厳命を承け、宝基の鎮衛と為り、或いは昌運の洪啓に遇い、神器の大造を助く。然らば則ち功を録し庸に酬ゆるに至りては、須らく同じく祀典に預かるべし。或いは未だ班幣の例に入らず、猶お秘かに介推の恨みを懐く。
現代語訳
天降りから東征に至るまで、付き従った神々の名は国史に記されている。あるいは天の厳命を受けて国の基の守りとなり、あるいは大いなる運の開けるときに遇って神器の大事業を助けた。それならば功を記録し労に報いるにあたっては、同じように祀りの典に列せられてよいはずである。ところが幣を分ける例にすら入れられず、いまだ人知れず介之推の恨みを抱いている者がある。
解説
介之推は、晋の文公が亡命したとき自分の腿の肉を割いて食べさせたのに、帰国後の論功行賞から漏れ、山に隠れて焼け死んだとされる人物である。広成はその名を引いて、記録に残っているのに報いられていない者たちの恨みを代弁した。論理は明快で、功は国史に記されている、だから報いも同じように及ぶべきだ、というものだ。この一句が古語拾遺の後半全体の枠組みになっている。この後に「所遺一なり」から「所遺十一なり」まで、具体的な漏れが列挙されていく。感情ではなく、記録と処遇の不一致という形で訴えているところが、この訴状の強さである。
この章句が説くこと
録功酬庸介之推の恨み班幣の例功と処遇の不一致
関連する章句
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史記 晋世家介子推曰く、「獻公の子九人、唯だ君のみ在り。天未だ晉を絶たず、必ず将に主有らんとす。晉の祀を主る者、君に非ずして誰ぞ。天実に之を開く、二三子以て己の力と為す、亦た誣ならずや。人の財を竊むすら、猶ほ是れ盜と曰ふ、況んや天の功を貪りて以て己の力と為すをや。下は其の罪を冒し、上は其の姦を賞す、上下相蒙く、与に処り難し」と。
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史記 晋世家介子推の従者之を憐れみ、乃ち書を宮門に懸けて曰く、「龍天に上らんと欲す、五蛇輔と為る。龍已に雲に升り、四蛇各おの其の宇に入る、一蛇独り怨み、終に処所を見ず」と。文公出でて、其の書を見て、曰く、「此れ介子推なり。吾方に王室を憂へ、未だ其の功を図らず」と。人をして之を召さしむるも、則ち亡ぐ。遂に所在を求め、其の綿上の山中に入るを聞く、是に於て文公綿上の山中を環りて之を封じ、以て介推の田と為し、号して介山と曰ふ、「以て吾が過を記し、且つ善人を旌さん」と。
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『新序』節士第七晉の文公反る。國の士大夫に酒を酌む。咎犯を召して之を將とし、艾陵を召して之を相とし、田百萬を授く。介子推爵齒無くして位に就く。觴三たび行る。介子推觴を奉じて起ちて曰く、龍有り矯矯として將に其の所を失わんとす。虵有り之に從いて、天下を周流す。龍既に深淵に入り、其の安き所を得たり。虵の脂盡く乾き、獨り甘雨を得ず。此れ何の謂いぞや、と。文公曰く、嘻、是れ寡人の過ちなり。吾子の爲に爵し、與に旦を待つの朝せん。吾子の爲に田せん、河東陽の間を與えん、と。介子推曰く、推君子の道を聞く。謁して位を得るは、道士は居らざるなり。爭いて財を得るは、廉士は受けざるなり、と。文公曰く、我をして國に反るを得しめし者は、子なり。吾將に以て子の名を成さんとす、と。介子推曰く、推君子の道を聞く。人の子と爲りて其の父を承くる能わざる者は、則ち敢えて其の後に當たらず。人の臣と爲りて其の君に察せられざる者は、則ち敢えて其の朝に立たず、と。然らば推も亦た天下に索むる無し、と。遂に去りて介山の上に之く。文公人をして之を求めしむるも得ず。之が爲に寢を避くること三月、號呼すること朞年。詩に曰く、逝に將に汝を去りて、彼の樂郊に適かんとす、彼の樂郊に適かば、誰か之れ永く號ばん、と。此の謂いなり。文公之を待つも肯えて出でず。之を求むるも得る能わず。以謂えらく其の山を焚かば宜しく出づべし、と。其の山を焚くに及び、遂に出でずして焚死す。
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呂氏春秋・介立①貴富を以て人を有するは易く、貧賤を以て人を有するは難し。今、晉の文公出亡し、天下を周流し、窮なり賤なり。而れども介子推の去らざるは、以て之を有する有ればなり。國に反りて萬乘を有す。而れども介子推の之を去るは、以て之を有する無ければなり。其の難きを能くするも、其の易きを能くせざるは、此れ文公の王たらざりし所以なり。晉の文公、國に反り、介子推、賞を受くるを肯ぜず、自ら為に詩を賦して曰く、「龍有り于に飛ばんとして、天下を周遍す。五蛇之に從い、之が丞輔を為す。龍其の鄉に反り、其の處所を得。四蛇之に從い、其の露雨を得たり。一蛇之を羞じ、中野に橋死す。」書を公門に懸けて、山下に伏る。文公之を聞きて曰く、「譆、此れ必ず介子推ならん。」舎を避け服を變じて、士庶人に令して曰く、「能く介子推を得る者有れば、上卿に爵し、田百萬。」或ひと之に山中に遇う。釜を負い簦を蓋う。焉に問いて曰く、「請い問う、介子推は安くにか在る。」之に應えて曰く、「夫れ介子推は苟くも見わるるを欲せずして隱れんと欲す、吾獨り焉ぞ之を知らん。」遂に背きて行き、終身見われず。人心の同じからざる、豈に甚だしからずや。今の世の利を逐う者は、早くに朝し晏くに退き、脣を焦がし嗌を乾かし、日夜之を思い、猶ほ未だ之れ得ること能わず。今之を得て務めて疾く之を逃る。介子推の俗を離るるや遠し。
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説苑・復恩晋の文公亡ぐるの時、陶叔狐従ふ、文公国に反り、三たび賞を行ひて陶叔狐に及ばず、陶叔狐咎犯に見えて曰く、「吾君に従ひて亡ぐること十有三年、顔色黎黒、手足胼胝せり、今君国に反りて三たび賞を行ふも我に及ばず、意ふに君我を忘れたるか、我大故有るか、子試みに我が為に之を君に言へ」と。咎犯之を文公に言ふ、文公曰く、「嘻、我豈に是の子を忘れんや。夫れ高明至賢、徳行全誠、我を道を以て耽しませ、我を仁を以て説ばしめ、我が行ひを暴かに浣ひ、我が名を昭明にし、我をして成人為らしめし者は、吾以て上賞と為さん。我を礼を以て防ぎ、我を誼を以て諫め、我を蕃援して我をして非を為すを得ざらしめ、数々我を賢人の門に引きて請ひし者は、吾以て次賞と為さん。夫れ勇壮強禦、難前に在れば則ち前に居り、難後に在れば則ち後に居り、我を患難の中より免れしめし者は、吾又以て之が次と為さん。且つ子独り聞かざるか、人を死せしむる者は、人の身を存するに如かず、人を亡ぼす者は、人の国を存するに如かず、三行の賞の後にして、労苦の士之に次ぐ、夫れ労苦の士は、是れ子固に首為り、豈に敢へて子を忘れんや」と。周の内史叔輿之を聞きて曰く、「文公其れ霸たらんか。昔聖王は徳を先にして力を後にす、文公其れ之に当れり、詩に云く、『率履越えず』とは、此を之れ謂ふなり」と。晋の文公国に入るに、河に至り、籩豆茵席を棄てしめ、顔色黎黒、手足胼胝せる者を後に在らしむ、咎犯之を聞き、中夜にして哭す、文公曰く、「吾亡ぐること十有九年なり、今将に国に反らんとするに、夫子喜ばずして哭するは、何ぞや、其れ吾が国に反るを欲せざるか」と。対へて曰く、「籩豆茵席は、官する所以なるに、之を棄て、顔色黎黒、手足胼胝せるは、労苦を執る所以なるに、皆之を後にす、臣聞く、国君士を蔽へば、忠臣を取る所無く、大夫遊を蔽へば、忠友を取る所無し、と。今国に至るに、臣蔽ふ所の中に在り、其の哀しみに勝へず、故に哭するなり」と。文公曰く、「禍福利害咎氏と之を同じくせざれば、白水有るが如し」と、之を祝して、璧を刀にて沈めて盟す。介子推曰く、「献公の子九人、唯だ君のみ在るのみ、天未だ晋を絶たず、必ず主有らん、晋祀を主る者君に非ずして何ぞや、唯だ二三子の者以て己が力と為すは、亦た誣ならずや」と。文公即位するも、賞推に及ばず、推が母曰く、「盍ぞ亦た之を求めざる」と。推曰く、「尤めて之に效はば、罪又甚し、且つ怨言を出だせば、其の食を食らはず」と。其の母曰く、「亦た知らしめよ」と。推曰く、「言は身の文なり、身将に隠れんとす、安んぞ文を用ゐん」と。其の母曰く、「能く是の如くんば、若と俱に隠れん」と。死に至るまで復た推に見えず。従者之を憐みて、乃ち書を宮門に懸けて曰く、「龍有り矯矯たり、頃其の所を失ふ、五蛇之に従ひ、天下を周遍す、龍飢ゑて食無し、一蛇股を割く、龍其の淵に反り、其の壤土に安んず、四蛇穴に入り、皆処る所有り、一蛇穴無く、中野に号す」と。文公出でて書を見て曰く、「嗟此れ介子推なり、吾方に王室を憂ひて其の功を図らず」と。人をして之を召さしむるに則ち亡ぐ、遂に其の在る所を求む、其の綿上山中に入るを聞く。是に於て文公綿上山中を表して之を封じ、以て介推の田と為し、号して介山と曰ふ。
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『春秋左氏伝』僖公二十四年 介之推の隠遁晉侯亡に從ふ者を賞す。介之推祿を言はず、祿も亦た及ばず。推曰く、「獻公の子九人、唯だ君のみ在り。惠・懷は親無く、外內之を棄つ。天未だ晉を絕たず、必ず將に主有らんとす。晉の祀を主る者は、君に非ずして誰ぞ。天實に之を置く、而るに二三子以て己の力と為す、亦た誣ひならずや。人の財を竊むすら、猶ほ之を盜と謂ふ、況んや天の功を貪りて以て己の力と為すをや。下は其の罪を義とし、上は其の姦を賞す。上下相蒙く、與に處り難し」と。其の母曰く、「盍ぞ亦た之を求めざる。以て死すとも誰をか懟まん」と。對へて曰く、「尤めて之に效ふは、罪又甚だし。且つ怨言を出だせり、其の食を食まず」と。其の母曰く、「亦た之を知らしめば、若何」と。對へて曰く、「言は、身の文なり。身將に隱れんとす、焉んぞ之を文るを用ゐん。是れ顯はるるを求むるなり」と。其の母曰く、「能く是くの如くならんか。女と偕に隱れん」と。遂に隱れて死す。晉侯之を求めて獲ず、綿上を以て之が田と為して、曰く、「以て吾が過ちを志し、且つ善人を旌さん」と。鄭の滑に入るや、滑人命を聽く。師還れば、又衛に即く。鄭の公子士・洩堵俞彌師を帥ゐて滑を伐つ。王伯服・游孫伯をして鄭に如きて滑を請はしむ。鄭伯惠王の入りて厲公に爵を與へざるを怨み、又襄王の衛・滑に與するを怨む。故に王命を聽かずして二子を執ふ。王怒りて、將に狄を以て鄭を伐たんとす。

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