古語拾遺 / 衢に立つ神
有一神居天八達之衢。其鼻長七咫。背長七尺。口尻明曜。眼如八咫鏡。卽遣從神借問其名。八十萬神皆不能相見。於是天鈿女命奉敕而往。
新字:有一神居天八達之衢。其鼻長七咫。背長七尺。口尻明曜。眼如八咫鏡。即遣従神借問其名。八十万神皆不能相見。於是天鈿女命奉勅而往。
書き下し
一神有りて天の八達の衢に居り。其の鼻の長さ七咫、背の長さ七尺。口尻明り曜き、眼は八咫鏡の如し。即ち従神を遣わして借りに其の名を問わしむ。八十万の神皆な相い見ること能わず。是に於て天鈿女命、勅を奉じて往く。
現代語訳
一柱の神が、天の八方へ通じる辻に立っていた。その鼻の長さは七咫、背丈は七尺。口の端は明るく輝き、眼は八咫鏡のようであった。そこで従者の神を遣わして、まずその名を問わせた。しかし八十万の神は、誰もその相手と向き合うことができなかった。そこで天鈿女命が、勅を受けて出て行った。
解説
道の分かれ目に、正体の分からない大きな者が立ちふさがっている。八十万の神が誰も向き合えない中で、進み出たのは天鈿女命だった。彼女がしたのは、戦うことでも迂回することでもなく、名を問うことである。名を問い、どちらが先に行くのかを問い、どこへ行くのかを問う。相手は猿田彦大神と名乗り、先導すると答えた。恐ろしく見えた相手が、問うてみれば道案内だったのである。正体の分からない障害に対して、まず名前と意図を確かめる。そして、その役を引き受けたのが最も力の強い神ではなかったことも、この段の読みどころである。
この章句が説くこと
八達の衢猿田彦天鈿女命名を問う
関連する章句
-
『古語拾遺』猿田彦と蟹守乃ち其の胸乳を露わし、裳帯を臍の下に抑え下げて、向かい立ちて咲噱う。是の時、衢神問いて曰く、「汝何の故に然か為すや」と。天鈿女命反りて問いて曰く、「天孫の幸す所の路に居る者は誰ぞ」と。衢神対えて曰く、「天孫降りますべしと聞く。故に迎え奉りて相待つ。吾が名は是れ猿田彦大神なり」と。時に天鈿女命復た問いて曰く、「汝先に行くべきか、将た吾先に行くべきか」と。対えて曰く、「吾先に啓き行かん」と。天鈿女復た問いて曰く、「汝何処に到るべきか、将た天孫何処に到るべきか」と。対えて曰く、「天孫は当に筑紫の日向の高千穂の槵触の峰に到るべし。吾は伊勢の狭長田の五十鈴の川上に到るべし」と。因りて曰く、「吾を発顕せる者は汝なり。吾を送りて致すべし」と。天鈿女命還りて報す。天孫降臨、果たして皆期の如し。天鈿女命、乞うに随いて侍り送る。是を以て群神勅を奉じて天孫に陪従し、世を歴て相承け、各々其の職に供す。天祖彦火尊、海神の女豊玉姫命を娉りて、彦瀲尊を生む。誕育の日、海浜に室を立つ。時に掃守連の遠祖天忍人命、供奉して陪侍し、箒を作りて蟹を掃う。仍りて鋪設を掌り、遂に以て職と為す。号して蟹守と曰う。
-
『古事記』上巻・猿田毘古神と天孫降臨故、専ら汝往きて問はむは、吾が御子の天降りする道を、誰ぞかくて居る、と問ひ賜ひし時、答へ白ししく、「僕は国つ神、名は猨田毘古神なり。出で居る所以は、天つ神の御子天降り坐すと聞きし故に、御前に仕へ奉らむとして、参向ひて侍ふ」とまをしき。ここに天児屋命、布刀玉命、天宇受売命、伊斯許理度売命、玉祖命、并せて五伴緒を支ち加へて天降らしめき。ここにその遠岐斯(この三字は音を以ちてす)八尺の勾璁、鏡、及び草那芸剣、また常世思金神、手力男神、天石門別神を副へ賜ひて、詔りたまひしく、「この鏡は、専ら我が御魂として、吾が前を拝くが如く、いつき奉れ。次に思金神は、前の事を取り持ちて、政を為よ」とのりたまひき。この二柱の神は、さくくしろ伊須受能宮(さより能までは音を以ちてす)を拝み祭る。次に登由宇気神、こは外宮の度相に坐す神なり。次に天石戸別神、またの名は櫛石窓神と謂ひ、またの名は豊石窓神と謂ふ。この神は御門の神なり。次に天手力男神は、佐那県に坐すなり。故、その天児屋命は(中臣連らの祖)、布刀玉命は(忌部首らの祖)、天宇受売命は(猨女君らの祖)、伊斯許理度売命は(鏡作連らの祖)、玉祖命は(玉祖連らの祖)なり。ここに天津日子番能邇邇芸命に詔りたまひて、天の石位を離れ、天の八重たな雲を押し分けて、いつのちわきちわきて、(いより以下十字は音を以ちてす)天の浮橋に、うきじまり、そりたたして、(うより以下十一字もまた音を以ちてす)筑紫の日向の高千穂のくじふるたけ(くより六字は音を以ちてす)に天降り坐しき。ここに天忍日命、天津久米命の二人、天の石靱を取り負ひ、頭椎の大刀を取り佩き、天の波士弓を取り持ち、
-
『古語拾遺』天石窟時に天照大神赫怒して天の石窟に入り、磐戸を閉じて幽居したまう。爾に乃ち六合常闇にして昼夜分かたず。群神愁い迷いて手足措く罔し。凡そ厥の庶事、燎燭して弁ず。高皇産霊神、八十万の神を天の八湍河原に会し、謝り奉らんの方を議る。
-
『玉勝間』四の巻 教は猨田彦ノ神のをしへと云ふ事近き世神道者の説に、道は天照大神の道、教えは猿田彦の神の教えなりと、いみしげに云うなり。道は天照大神の道と云うは、論無きを、教えは猿田彦の神の教えと云う事こそ、いと心得ね。猿田彦の神は、皇御孫の命の天降ります御前に立ちて、啓行をこそ仕え奉り給えれ、世の人のおこなうべき道を、教え給える事は、古書にかつて見えず。よしも無き付会なり。この外世の神道者の云う説ども、このたぐいのみ多し。皆から国の教説をうらやみて、かれに似たらむともとめたる、しいごとなり。
-
『古事記』中巻・八咫烏の導きと吉野の神々故、その八咫烏、引道きてむ。その立たむ後より幸行でますべし」とまをしき。故、その教へ覚しの随に、その八咫烏の後より幸行でませば、吉野河の河尻に到りましし時、筌を作りて魚を取る人有り。ここに天つ神の御子、問ひたまひしく、「汝は誰ぞ」とのりたまひき。答へ曰ひしく、「僕は国つ神、名は贄持の子と謂ふ」といひき。(こは阿陀の鵜養の祖)その地より幸行でませば、尾生ひたる人、井より出で来たり。その井に光有り。ここに問ひたまひしく、「汝は誰ぞ」とのりたまひき。答へ曰ひしく、「僕は国つ神、名は井氷鹿と謂ふ」といひき。(こは吉野首らの祖なり)即ちその山に入りたまへば、また尾生ひたる人に遇ひたまひき。この人、巖を押し分けて出で来たり。ここに問ひたまひしく、「汝は誰ぞ」とのりたまひき。答へ曰ひしく、「僕は国つ神、名は石押分の子と謂ふ。今、天つ神の御子幸行でますと聞きし故に、参向へるのみ」といひき。(こは吉野の国巣の祖)その地より蹈み穿ち越えて、宇陀に幸でましき。故、宇陀の穿ちと曰ふ。故、ここに宇陀に兄宇迦斯・弟宇迦斯(宇より以下三字は音を以ちてす。下もこれに効ふ)の二人有り。故、先づ八咫烏を遣はして、二人に問ひて曰ひしく、「今、天つ神の御子幸行でます。汝ら仕へ奉らむや」といひき。ここに兄宇迦斯、鳴鏑を以ちてその使を待ち射返しき。
-
『古事記』上巻・岩戸開きと天宇受売布刀玉命、布刀御幣(ふとみてぐら)と取り持ちて、天見屋命、布刀詔戸言(ふとのりとごと)禱(ほ)き白して、天手力男神、戸の掖(わき)に隠れ立ちて、天宇受売命、天の香山の天の日影を手次(たすき)に繫(か)けて、天の真拆(まさき)を鬘(かづら)として、天の香山の小竹葉(ささば)を手草に結ひて、天の石屋戸に汙気(うけ)伏せて、蹈み登杼呂許志(とどろこし)、神懸(かむがか)りして、胸乳(むなち)を掛き出で、裳緒(もひも)を陰(ほと)に忍し垂れき。ここに高天原動(とよ)みて、八百万の神共に咲(わら)ひき。ここに天照大御神、怪しと以為(おも)ほして、天の石屋戸を細めに開きて、内より告りたまひしく、「吾が隠り坐すによりて、天の原自ら闇く、また葦原中国もみな闇けむと以為ふを、何由(なにゆゑ)にか、天宇受売は楽(あそ)びし、また八百万の神もろもろ咲へる」とのりたまひき。ここに天宇受売白言(まを)ししく、「汝が命に益(まさ)りて貴き神坐すが故に、歓喜(よろこ)び咲ひ楽ぶ」とまをしき。かく言ふ間に、天見屋命・布刀玉命、その鏡を指し出して、天照大御神に示し奉る時、天照大御神いよいよ奇しと思ほして、やや戸より出でて臨み坐す時、その隠り立てる天手力男神、その御手を取りて引き出だしまつりき。すなはち布刀玉命、尻久米(しりくめ)縄をその御後方(みしりへ)に控(ひ)き渡して白言ししく、「これより内にな還り入りそ」とまをしき。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る