古語拾遺 / 此の宝鏡を視ること猶お吾を視るがごとくせよ
卽以八咫鏡及草薙劍二種神寶授賜皇孫。永爲天璽。矛玉自從。卽敕曰。吾兒視此寶鏡當猶視吾。與同牀共殿以爲齋鏡。
新字:即以八咫鏡及草薙剣二種神宝授賜皇孫。永為天璽。矛玉自従。即勅曰。吾児視此宝鏡当猶視吾。与同牀共殿以為斎鏡。
書き下し
即ち八咫鏡及び草薙剣の二種の神宝を以て皇孫に授け賜い、永く天璽と為す。矛と玉とは自ずから従う。即ち勅して曰く、吾が児、此の宝鏡を視ること、当に猶お吾を視るがごとくすべし。与に床を同じくし殿を共にして、以て斎鏡と為せ、と。
現代語訳
そこで八咫鏡と草薙剣の二種の神宝を皇孫にお授けになり、永く天の璽とされた。矛と玉はおのずとこれに従う。そして勅して言われた。わが子よ、この宝鏡を見るときは、私を見るのと同じようにせよ。床を同じくし、御殿を共にして、斎き祀る鏡とせよ、と。
解説
鏡を私だと思って見よ、という言葉である。鏡は覗けば自分が映る。だからこの勅は、自分を映して見よという指示でもある、と後世さまざまに読まれてきた。ここで押さえておきたいのは、同じ段の少し前に「宝祚の隆えまさむこと、当に天壌と窮まり無かるべし」という一句が置かれていることである。この句は近代に国体の根拠として繰り返し掲げられ、教育勅語の解釈や国体明徴運動でも中心に据えられた。もとは神話の中で語られた委任の言葉であり、そのように帰属させて読むのが筋である。史料としては、鏡と剣が「天璽」として権威の証しに定められた瞬間の記録として読める。
この章句が説くこと
八咫鏡天璽同床共殿宝鏡を視ること吾を視るが如し