古語拾遺 / 序
蓋聞上古之世未有文字。貴賤老少口口相傳。前言往行存而不忘。書契以來不好談古。浮華競興還嗤舊老。遂使人歷世而彌新。事逐代而變改。顧問故實靡識根源。國史家牒雖載其由。一二委曲猶有所遺。愚臣不言恐絕無傳。幸蒙召問慾攄蓄憤。故錄舊說敢以上聞云爾。
新字:蓋聞上古之世未有文字。貴賤老少口口相伝。前言往行存而不忘。書契以来不好談古。浮華競興還嗤旧老。遂使人歴世而弥新。事逐代而変改。顧問故実靡識根源。国史家牒雖載其由。一二委曲猶有所遺。愚臣不言恐絶無伝。幸蒙召問慾攄蓄憤。故録旧説敢以上聞云爾。
書き下し
蓋し聞く、上古の世には未だ文字有らず。貴賤老少、口々に相伝え、前言往行、存して忘れず。書契より以来、古を談ずるを好まず。浮華競い興りて還って旧老を嗤う。遂に人をして世を歴て弥々新たに、事は代を逐うて変わり改まらしむ。故実を顧問するも根源を識る靡し。国史・家牒、其の由を載すと雖も、一二の委曲、猶お遺す所有り。愚臣言わずんば、恐らくは絶えて伝うる無からん。幸いに召問を蒙り、蓄えたる憤りを攄べんと欲す。故に旧説を録し、敢えて以て上聞す、と爾か云う。
現代語訳
聞くところによれば、大昔の世には文字がなかった。身分の上下も老いも若きも、口から口へ伝え、昔の言葉と行いは失われずに残っていた。ところが文字ができて以来、人は古いことを語るのを好まなくなった。うわべの華やかさばかりが競い興り、かえって古老を笑うようになった。その結果、人は代を重ねるごとに新しくなり、物事は時代を追うごとに変わってしまった。昔の慣例を尋ねても、その根源を知る者がいない。国史や家々の記録にその由来は載っているものの、細かいところにはなお漏れがある。愚かな私が言わなければ、おそらく永久に伝わらなくなるだろう。幸い、お尋ねを受けたので、胸に溜めてきた憤りを述べたい。だから古い伝えを書き記し、あえて申し上げる次第である。
解説
斎部広成が大同二年(八〇七)、平城天皇の下問に応じて書いた書の序である。冒頭の診断が鋭い。文字ができてから、人は古を語らなくなった、と。記録の手段を得たことが、かえって記憶の断絶を招いたという逆説である。「浮華競い興りて還って旧老を嗤う」——新しさを競う空気の中では、古いことを知っている人間が笑われる。だから根源を知る者がいなくなる。広成が挙げる理由は感傷ではない。国史にも家の記録にも載ってはいるが、細部に漏れがある。自分が言わなければ絶える。この書はその漏れを埋めるために書かれた。八十を越えた老人が、憤りを述べると断って始めるのがこの書である。
この章句が説くこと
古語拾遺口々に相伝う浮華競い興る旧老を嗤う