荀子 / 堯問篇
為說者曰:「孫卿不及孔子。」是不然。孫卿迫於亂世,遒於嚴刑,上無賢主,下遇暴秦,禮義不行,教化不成,仁者絀約,天下冥冥,行全刺之,諸侯大傾。當是時也,知者不得慮,能者不得治,賢者不得使。故君上蔽而無睹,賢人距而不受。然則孫卿懷將聖之心,蒙佯狂之色,視天下以愚。《詩》曰:「既明且哲,以保其身。」此之謂也。是其所以名聲不白,徒與不眾,光輝不博也。今之學者,得孫卿之遺言餘教,足以為天下法式表儀。所存者神,所過者化,觀其善行,孔子弗過。世不詳察,云非聖人,奈何!天下不治,孫卿不遇時也。德若堯禹,世少知之;方術不用,為人所疑;其知至明,循道正行,足以為紀綱。嗚呼!賢哉!宜為帝王。天地不知,善桀紂,殺賢良,比干剖心,孔子拘匡,接輿避世,箕子佯狂,田常為亂,闔閭擅強。為惡得福,善者有殃。今為說者,又不察其實,乃信其名。時世不同,譽何由生?不得為政,功安能成?志修德厚,孰謂不賢乎!
新字:為説者曰:「孫卿不及孔子。」是不然。孫卿迫於乱世,遒於厳刑,上無賢主,下遇暴秦,礼義不行,教化不成,仁者絀約,天下冥冥,行全刺之,諸侯大傾。当是時也,知者不得慮,能者不得治,賢者不得使。故君上蔽而無睹,賢人距而不受。然則孫卿懐将聖之心,蒙佯狂之色,視天下以愚。《詩》曰:「既明且哲,以保其身。」此之謂也。是其所以名声不白,徒与不衆,光輝不博也。今之学者,得孫卿之遺言余教,足以為天下法式表儀。所存者神,所過者化,観其善行,孔子弗過。世不詳察,云非聖人,奈何!天下不治,孫卿不遇時也。徳若堯禹,世少知之;方術不用,為人所疑;其知至明,循道正行,足以為紀綱。嗚呼!賢哉!宜為帝王。天地不知,善桀紂,殺賢良,比干剖心,孔子拘匡,接輿避世,箕子佯狂,田常為乱,闔閭擅強。為悪得福,善者有殃。今為説者,又不察其実,乃信其名。時世不同,誉何由生?不得為政,功安能成?志修徳厚,孰謂不賢乎!
書き下し
説を為す者曰く、孫卿は孔子に及ばず、と。是れ然らず。孫卿は乱世に迫られ、厳刑に遒(せま)られ、上に賢主無く、下に暴秦に遇う。礼義行われず、教化成らず、仁者は絀約(ちゅつやく)せられ、天下は冥冥たり。行い全きも之を刺(そし)られ、諸侯大いに傾く。是の時に当たるや、知者は慮ることを得ず、能者は治むることを得ず、賢者は使わるることを得ず。故に君上は蔽われて睹(み)ること無く、賢人は距(こば)まれて受けられず。然れば則ち孫卿は将聖の心を懐きて、佯狂(ようきょう)の色を蒙(こうむ)り、天下に視(しめ)すに愚を以てす。詩に曰く、既に明にして且つ哲、以て其の身を保つ、と。此れ之を謂うなり。是れ其の名声の白(あき)らかならず、徒与(とよ)の衆(おお)からず、光輝の博(ひろ)からざる所以なり。今の学者、孫卿の遺言余教を得て、以て天下の法式表儀と為すに足る。存する所の者は神にして、過ぐる所の者は化す。其の善行を観れば、孔子も過ぎず。世、詳らかに察せずして、聖人に非ずと云う。之を奈何(いかん)せん。天下治まらざるは、孫卿の時に遇わざればなり。徳は堯・禹の若きも、世に之を知る者少なし。方術用いられず、人の疑う所と為る。其の知は至って明らかに、道に循(したが)いて正しく行い、以て紀綱と為すに足る。嗚呼、賢なるかな。宜しく帝王たるべし。天地知らずして、桀・紂を善しとし、賢良を殺す。比干は心を剖(さ)かれ、孔子は匡に拘せられ、接輿は世を避け、箕子は佯狂し、田常は乱を為し、闔閭は強を擅(ほしいまま)にす。悪を為して福を得、善なる者に殃(わざわい)有り。今、説を為す者、又た其の実を察せずして、乃ち其の名を信ず。時世同じからざれば、誉れ何に由りてか生ぜん。政を為すを得ざれば、功安(いずく)んぞ能く成らん。志は修まり徳は厚し、孰(たれ)か賢ならずと謂わんや。
現代語訳
論者は言う、孫卿は孔子に及ばない、と。それは違う。孫卿は乱世に追いつめられ、厳しい刑罰に迫られ、上には賢明な君主がおらず、下には暴虐な秦に出くわした。礼義は行われず、教化は成らず、仁者は退けられて縮こまり、天下は暗闇のようであった。行いが完全であってもそしられ、諸侯は大きく傾いていた。この時代にあっては、知者は考えを用いられず、能ある者は政治を任されず、賢者は使われることがなかった。だから君主は目を覆われて何も見えず、賢人は拒まれて受け入れられなかった。そこで孫卿は、聖人たるべき心を胸に抱きながら、狂ったふりの顔をまとい、天下に対して愚か者を装ってみせたのだ。詩に、聡明で賢く、それによって我が身を保つ、とあるのは、このことである。これこそ、その名声が明らかにならず、仲間が多くならず、その輝きが広まらなかった理由である。今の学者は、孫卿の遺した言葉と教えを受け取っており、それは天下の規範や手本とするに足るものだ。その教えのとどまるところには不思議なはたらきが生まれ、その通り過ぎるところでは人が感化される。その善き行いを見れば、孔子とて超えてはいない。世の人はよく調べもせずに、聖人ではないと言う。どうしようもないことだ。天下が治まらないのは、孫卿が時代に恵まれなかったからである。その徳は堯や禹に等しいのに、世にそれを知る者は少ない。その学術は用いられず、かえって人から疑われた。その知恵はきわめて明晰で、道に従って正しく行い、天下の綱紀とするに足るものだった。ああ、なんと賢いことか。まさに帝王となるべき人であった。天地はそれを分からず、桀や紂のような者を良しとし、賢く善良な者を殺した。比干は心臓を裂かれ、孔子は匡の地で捕らえられ、接輿は世を避け、箕子は狂ったふりをし、田常は乱を起こし、闔閭は勢いをほしいままにした。悪を行う者が幸福を得て、善き者に災いがふりかかったのだ。今の論者は、その実質を調べもせず、ただ評判だけを信じている。生きた時代が違えば、名声などどこから生まれようか。政治を任されなければ、功績などどうして成し遂げられようか。志は修まり、徳は厚い。誰がこの人を賢者ではないと言えるだろうか。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』襄公三十一年 美錦を学ばしめず子皮尹何をして邑を為めしめんと欲す。子產曰く、「少し。未だ可否を知らず」と。子皮曰く、「愿なり。吾之を愛す。吾に叛かざるなり。夫をして往きて學ばしめば、夫も亦た愈〻治を知らん」と。子產曰く、「不可なり。人の人を愛するは、之を利せんことを求むるなり。今吾子人を愛するに則ち政を以てす。猶ほ未だ刀を操ること能はずして割かしむるがごときなり。其の傷つくること實に多からん。子の人を愛する、之を傷つくるのみ。其れ誰か敢へて愛を子に求めん。子の鄭國に於けるや、棟なり。棟折れ榱崩るれば、僑將に厭されんとす。敢へて言を盡くさざらんや。子に美錦有らば、人をして製するを學ばしめず。大官大邑は、身の庇ふ所なり。而るに學者をして製せしむ。其の美錦為るや、亦た多からずや。僑聞く、學びて而る後に政に入ると。未だ政を以て學ぶ者を聞かざるなり。若し果たして此を行はば、必ず害する所有らん。譬へば田獵の如し。射御貫るれば、則ち能く禽を獲。若し未だ嘗て車に登りて射御せずんば、則ち敗績厭覆を是れ懼れん。何の暇ありてか獲るを思はん」と。子皮曰く、「善いかな。虎不敏なり。吾聞く、君子は大なる者遠き者を知るに務め、小人は小なる者近き者を知るに務むと。我は小人なり。衣服の吾が身に附在するは、我知りて之を慎む。大官大邑は、身を庇ふ所以なり。我遠ざけて之を慢る。子の言微かりせば、吾知らざりしなり。他日、我曰へり、『子は鄭國を為め、我は吾が家を為めて、以て庇はば其れ可なり』と。今にして後に足らざるを知る。今より請ふ、吾が家と雖も子に聽きて行はん」と。子產曰く、「人心の同じからざるは、其の面の如し。吾豈に敢へて子の面吾が面の如しと謂はんや。抑〻心に危ふしと謂ふ所は、亦た以て告ぐるなり」と。子皮以て忠と為す。故に政を委ぬ。子產是を以て能く鄭國を為む。
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史記 呉王濞列伝司馬と為るを得、独り周丘のみ用ひらるるを得ず。周丘は、下邳の人なり。呉に亡命し、酒を酤りて行ひ無し。呉王濞之を薄んじ、任ぜず。周丘上謁し、王に説きて曰く、「臣無能を以て、罪を行間に待つを得ず。臣敢へて将ゐる所有るを求むるに非ず。願はくは王の一漢節を得ば、必ず以て王に報ゆる有らん」と。王乃ち之に予ふ。周丘節を得て、夜馳せて下邳に入る。下邳時に呉の反するを聞き、皆城守す。伝舎に至り、令を召す。令戸に入るや、従者をして罪を以て令を斬らしむ。遂に昆弟の善くする所の豪吏を召して告げて曰く、「呉の反兵且に至らんとす。至らば、下邳を屠ること食頃に過ぎざらん。今先に下らば、家室必ず完からん。能ある者は侯に封ぜられん」と。出でて乃ち相告げ、下邳皆下る。周丘一夜にして三万人を得、人をして呉王に報ぜしめ、遂に其の兵を将ゐて北のかた城邑を略す。城陽に至る比、兵十余万、城陽の中尉の軍を破る。呉王の敗走するを聞き、自ら度るに与に功を成す無しと、即ち兵を引きて下邳に帰る。未だ至らずして、疽背に発して死す。二月中、呉王の兵既に破れ、敗走す。是に於て天子将軍に制詔して曰く、「蓋し聞く、善を為す者は天之に報ゆるに福を以てし、非を為す者は天之に報ゆるに殃を以てすと。高皇帝親ら功徳を表し、諸侯を建立す。幽王・悼恵王は絶えて後無し。孝文皇帝哀憐して恵を加へ、幽王の子遂・悼恵王の子卬等を王とし、其の先王の宗廟を奉ぜしめ、漢の藩国と為す。徳は天地に配し、明は日月に并ぶ。呉王濞は徳に倍き義に反し、天下の亡命の罪人を誘ひ受け、天下の幣を乱し、病と称して朝せざること二十余年。有司数々濞の罪を請ふも、孝文皇帝之を寛し、其の行ひを改めて善を為さんことを欲す。
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『長短経』知人〔桓範曰く「夫れ帝王の君、歴代相踵ぎ、覇王の賢に任ずるを慕い、亡国の士を失うを悪まざるは莫し。然り而して猶お凶愚に任を授け、破亡相属くは、其の故は何ぞや。人を取るに道に合うを求めずして、己に合うを求むるに由るなり」と。
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史記 項羽本紀項梁嘗て櫟陽(やくよう)の逮有り、乃ち蘄(き)の獄掾(ごくえん)曹咎に請ひて書もて櫟陽の獄掾司馬欣に抵(いた)さしめ、故を以て事已むを得たり。項梁人を殺し、籍と仇を呉中に避く。呉中の賢士大夫皆項梁の下に出づ。呉中に大繇役及び喪有る毎に、項梁常に主辦を為し、陰かに兵法を以て賓客及び子弟を部勒し、是を以て其の能を知る。秦の始皇帝会稽に游び、浙江を渡る、梁と籍と倶に観る。籍曰く、「彼取りて代はるべきなり。」と。梁其の口を掩ひて、曰く、「妄言する毋かれ、族せられん。」と。梁此を以て籍を奇とす。籍は長八尺余、力は能く鼎を扛(あ)げ、才気人に過ぎ、呉中の子弟と雖も皆已に籍を憚る。秦の二世元年七月、陳渉等大沢中に起こる。其の九月、会稽の守通、梁に謂ひて曰く、「江西皆反す、此れ亦天の秦を亡ぼすの時なり。吾聞く、先んずれば即ち人を制し、後るれば則ち人の制する所と為ると。吾兵を発し、公及び桓楚をして将たらしめんと欲す。」と。是の時桓楚亡げて沢中に在り。梁曰く、「桓楚亡げ、人其の処を知る莫し、独り籍のみ之を知るのみ。」と。梁乃ち出で、籍を誡めて剣を持して外に居りて待たしむ。梁復た入り、守と坐して、曰く、「請ふ籍を召し、命を受けて桓楚を召さしめん。」と。守曰く、「諾。」と。梁籍を召して入らしむ。須臾にして、梁籍に眴(めくば)せして曰く、「行ふべし。」と。是に於て籍遂に剣を抜きて守の頭を斬る。項梁守の頭を持ち、其の印綬を佩ぶ。門下大いに驚き、擾乱す、籍の撃殺する所数十百人。一府中皆慴伏し、敢へて起つ莫し。梁乃ち故より知る所の豪吏を召し、諭すに起こす所の大事を以てし、遂に呉中の兵を挙ぐ。人をして下県を収めしめ、精兵八千人を得たり。梁呉中の豪傑を部署して校尉・候・司馬と為す。一人の用ゐらるるを得ざる有り、自ら梁に言ふ。梁曰く、「前時某の喪に公をして某の事を主らしむるも、辦ずる能はず、此を以て公を任用せず。」と。衆乃ち皆伏す。是に於て梁は会稽の守と為り、籍は裨将と為りて、下県を徇ふ。
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史記 張丞相列伝年十歳なり。高祖、即(も)し万歳の後に全からざらんことを憂ふ。趙堯は年少くして、符璽御史為り。趙人方与公、御史大夫周昌に謂ひて曰く、「君の史趙堯は、年少しと雖も、然れども奇才なり。君必ず之を異とせよ。是れ且に君の位に代はらんとす」と。周昌笑ひて曰く、「堯は年少く、刀筆の吏のみ。何ぞ能く是に至らんや」と。居ること頃之(しばらく)して、趙堯、高祖に侍す。高祖独り心楽しまず、悲歌す。群臣、上の然る所以を知らず。趙堯進みて請ひ問ひて曰く、「陛下の楽しまざる所以は、趙王年少くして戚夫人と呂后と卻(げき)有るが為に非ずや。万歳の後に趙王自ら全うすること能はざらんことを備ふるにあらずや」と。高祖曰く、「然り。吾私かに之を憂ふれども、出づる所を知らず」と。堯曰く、「陛下独り宜しく趙王の為に貴彊の相を置くべし。呂后・太子・群臣の素より敬憚する所に及べば乃ち可なり」と。高祖曰く、「然り。吾之を念ひて是くの如くせんと欲す。而れども群臣誰か可なる者ぞ」と。堯曰く、「御史大夫周昌、其の人堅忍質直にして、且つ呂后・太子及び大臣より皆素より之を敬憚す。独り昌のみ可なり」と。高祖曰く、「善し」と。是に於て乃ち周昌を召して、謂ひて曰く、「吾固く公を煩はさんと欲す。公彊ひて我が為に趙王に相たれ」と。周昌泣きて曰く、「臣初めて起ちて陛下に従ふ。陛下独り柰何ぞ中道にして之を諸侯に棄つるや」と。高祖曰く、「吾極めて其の左遷なるを知る。然れども吾私かに趙王を憂ふ。念ふに公に非ずんば可なる者無し。公已むを得ず彊ひて行け」と。是に於て御史大夫周昌を徙して趙の相と為す。既に行きて之を久しくして、高祖御史大夫の印を持ちて之を弄びて曰く、「誰か以て御史大夫と為すべき者ぞ」と。趙堯を孰視して曰く、「以て堯に易ふる無し」と。遂に趙堯を拝して御史大夫と為す。堯も亦前に軍功の食邑有り。御史大夫を以て従ひて陳豨を撃ちて功有るに及び、封ぜられて江邑侯と為る。高祖崩じ、呂太后、使をして趙王を召さしむ。其の相周昌、王をして疾と称して行かざらしむ。
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