荀子 / 哀公篇
哀公曰:「善!」孔子曰:「人有五儀:有庸人,有士,有君子,有賢人,有大聖。」
書き下し
哀公曰く、善し、と。孔子曰く、人に五儀有り。庸人有り、士有り、君子有り、賢人有り、大聖有り、と。
現代語訳
哀公は言った、けっこうなお話だ、と。孔子は言った。人には五つの段階があります。庸人があり、士があり、君子があり、賢人があり、大聖があります。
解説
ここから哀公篇の中心となる「人の五儀」の議論が始まります。孔子は人を、庸人・士・君子・賢人・大聖という五つの段階に分けて示しました。人間をランクづけするための序列ではなく、学びと修養によって人がどこまで登っていけるかを示した階段だと読むべきところです。荀子の考えでは、人は生まれつきで決まるのではなく、努力と礼によって変わります。だからこの五段階は、いま自分がどのあたりにいて、次にどこを目指すのかを測るための物差しになります。以下の段で孔子は、それぞれの段階の特徴を哀公の問いに答えるかたちで具体的に説明していきます。自分の成長を漠然と願うのではなく、段階を言葉にして把握すること。それだけで、次の一歩がずいぶんはっきり見えてくるはずです。
この章句が説くこと
人の五儀庸人・士・君子・賢人・大聖成長の段階修養の物差し教化君子
関連する章句
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