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荀子 / 法行篇

南郭惠子問於子貢曰:「夫子之門何其雜也?」子貢曰:「君子正身以俟,欲來者不距,欲去者不止。且夫良醫之門多病人,檃栝之側多枉木,是以雜也。」

新字:南郭恵子問於子貢曰:「夫子之門何其雑也?」子貢曰:「君子正身以俟,欲来者不距,欲去者不止。且夫良医之門多病人,檃栝之側多枉木,是以雑也。」

書き下し

南郭恵子、子貢に問いて曰く、夫子の門、何ぞ其れ雑なるや、と。子貢曰く、君子は身を正して以て俟(ま)ち、来らんと欲する者は距(こば)まず、去らんと欲する者は止めず。且つ夫れ良医の門には病人多く、檃栝(いんかつ)の側には枉木(おうぼく)多し。是を以て雑なるなり、と。

現代語訳

南郭恵子が子貢に尋ねた。あなたの先生の門下は、どうしてあんなに雑多な人間ばかりなのか、と。子貢は答えた。君子はわが身を正して人を待ち、来ようとする者は拒まず、去ろうとする者は引き止めない。それに、名医の門には病人が多く集まり、曲がった木を矯める道具のそばには曲がった木が多く集まるものだ。だから雑多になるのです、と。

解説

孔子の門下にはいろいろな人間がいて雑然としているではないか、という皮肉に、子貢が見事に切り返す一段です。君子はまず自分の身を正して待つのであって、来る者を選別しない。去る者も引き止めない。そのうえで子貢は二つのたとえを出します。腕のいい医者のところには病人が集まるのが当たり前で、それは医者の質が低いからではありません。曲がった木を真っ直ぐに矯める檃栝という道具のそばに曲がった木が集まるのも同じ理屈です。学び舎に未熟な人が多いのは、そこが人を変える場所だからだ、というわけです。人が育つ場は、はじめから優等生ばかりが揃っている場所ではありません。チームや教室を預かる立場なら、集まってくる人の未熟さを嘆くのではなく、それこそが自分の役割の証だと受け止めたいところです。

この一句を、あなたの毎日に。

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