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荀子 / 法行篇

曾子曰:「同游而不見愛者,吾必不仁也;交而不見敬者,吾必不長也;臨財而不見信者,吾必不信也。三者在身曷怨人!怨人者窮,怨天者無識。失之己而反諸人,豈不亦迂哉!」

新字:曽子曰:「同游而不見愛者,吾必不仁也;交而不見敬者,吾必不長也;臨財而不見信者,吾必不信也。三者在身曷怨人!怨人者窮,怨天者無識。失之己而反諸人,豈不亦迂哉!」

書き下し

曾子曰く、同(とも)に游びて愛せられざる者は、吾必ず不仁なればなり。交わりて敬せられざる者は、吾必ず長ぜざればなり。財に臨みて信ぜられざる者は、吾必ず信ならざればなり。三者身に在らば、曷(なん)ぞ人を怨まん。人を怨む者は窮し、天を怨む者は識無し。之を己に失いて諸(これ)を人に反(かえ)すは、豈に亦た迂ならずや。

現代語訳

曾子は言った。ともに交わりながら愛されないとすれば、それは私に仁がないからだ。人と交際しながら敬われないとすれば、それは私に人としての成熟が足りないからだ。金銭を扱う場面で信用されないとすれば、それは私に誠実さがないからだ。この三つが我が身にあるのなら、どうして人を怨めるだろうか。人を怨む者は行き詰まり、天を怨む者は道理をわきまえていない。過ちは自分にあるのに、その責めを人に押しつけるのは、なんとまわりくどいことではないか。

解説

うまくいかないときに原因をどこに置くか、という一段です。愛されない、敬われない、信用されない。曾子はその三つをすべて、自分の仁・成熟・誠実さの不足として引き受けます。そして「人を怨む者は行き詰まり、天を怨む者は道理を知らない」と言い切ります。ここでの「迂」は、まわり道という意味で、原因が自分の内にあるのに外を責めるのは、直せる場所から遠ざかる愚かな遠回りだ、という批判です。荀子の思想は人が学びと修養で変われることを信じるものですから、原因を自分に引き寄せることは自罰ではなく、変えられる場所に手を戻す作業になります。評価されない、話を聞いてもらえないと感じたとき、まず環境や相手を責める前に、自分の側に改善の余地がないかを見る。その一手間が、状況を動かす最短ルートになります。

この一句を、あなたの毎日に。

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