荀子 / 法行篇
曾子曰:「無內人之疏而外人之親,無身不善而怨人,無刑己至而呼天。內人之疏而外人之親,不亦反乎!身不善而怨人,不亦遠乎!刑己至而呼天,不亦晚乎!《詩》曰:『涓涓源水,不雝不塞。轂已破碎,乃大其輻。事已敗矣,乃重太息。』其云益乎!」
新字:曽子曰:「無內人之疏而外人之親,無身不善而怨人,無刑己至而呼天。內人之疏而外人之親,不亦反乎!身不善而怨人,不亦遠乎!刑己至而呼天,不亦晩乎!《詩》曰:『涓涓源水,不雝不塞。轂已破碎,乃大其輻。事已敗矣,乃重太息。』其云益乎!」
書き下し
曾子曰く、内の人を疏んじて外の人に親しむこと無かれ、身善からずして人を怨むこと無かれ、刑已に己に至りて天を呼ぶこと無かれ。内の人を疏んじて外の人に親しむは、亦た反ならずや。身善からずして人を怨むは、亦た遠からずや。刑已に至りて天を呼ぶは、亦た晩からずや。詩に曰く、涓涓たる源水も、雝(ふさ)がず塞がず。轂(こしき)已に破碎して、乃ち其の輻(や)を大にす。事已に敗れて、乃ち太息を重ぬ、と。其れ益あらんや、と。
現代語訳
曾子は言った。身近な者を遠ざけて外の者と親しくしてはならない。自分の行いが善くないのに人を怨んではならない。刑罰がすでに我が身に及んでから天に助けを求めてはならない。身近な者を疏んじて外の者に親しむのは、あべこべではないか。自分が善くないのに人を怨むのは、的外れではないか。刑がもう下ってから天を呼ぶのは、遅すぎるではないか。詩にこうある。ちょろちょろと流れる源の水も、堰き止めずにおけばやがて大水になる。車の轂がすでに砕けてから、はじめて輻を太くする。事がすでに失敗してから、ため息を重ねる、と。それで何の役に立つだろうか。
解説
曾子が戒めた三つの「やってはいけない」を並べた段です。身内を疏んじて外の人にばかり愛想を良くすること、自分の非を棚に上げて人を怨むこと、そして罰が下ってから天に泣きつくこと。どれも順序があべこべで、しかも手遅れだという指摘です。引かれた詩の言葉が痛烈で、細く湧き出る水も塞がなければやがて手に負えなくなり、車輪の轂が砕けてから輻を太くしても遅く、失敗してからため息をついても何も戻りません。要するに、問題は小さいうちに手を打て、原因は自分の側から探せ、ということです。仕事でも、違和感を感じた小さなほころびを放置して大事故になってから騒ぐ、という光景はよく起こります。近くにいる人を大切にし、うまくいかない時はまず自分の行いを点検し、気づいた時点で塞ぐ。この三つを守るだけで、後悔の総量はずいぶん減るはずです。