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荀子 / 法行篇

公輸不能加於繩墨,聖人不能加於禮。禮者,眾人法而不知,聖人法而知之。

新字:公輸不能加於繩墨,聖人不能加於礼。礼者,眾人法而不知,聖人法而知之。

書き下し

公輸も繩墨に加うる能わず、聖人も礼に加うる能わず。礼なる者は、衆人は法(のっと)りて知らず、聖人は法りて之を知る。

現代語訳

名工の公輸班でも、墨縄という直線の基準そのものに手を加えて良くすることはできない。それと同じように、聖人でさえ礼に何かを付け加えて良くすることはできない。礼というものは、普通の人々もそれに従ってはいるが、なぜそうなのかを分かっていない。聖人はそれに従い、しかもその意味をわきまえている。

解説

法行篇の冒頭で、礼を「墨縄」にたとえた一段です。墨縄とは大工が直線を引くために使う道具で、公輸班のような伝説的な名工であっても、その基準線そのものを改良することはできません。基準は基準として動かないからこそ役に立つのであり、荀子はここで礼を、人の行いを測る動かぬ基準として位置づけています。面白いのは後半で、多くの人は礼に従いながら「なぜそうするのか」を知らず、聖人は従いつつその理由まで分かっている、と区別している点です。私たちの職場や暮らしにも、就業規則やマナー、手順書といった「基準線」があります。ただ守るだけの人と、その基準が何を守るために置かれているかまで理解している人とでは、判断の質が変わります。ルールを面倒がる前に、その一本の線が引かれた理由を考えてみたいところです。

この一句を、あなたの毎日に。

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