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荀子 / 宥坐篇

孔子曰:「吾有恥也,吾有鄙也,吾有殆也:幼不能彊學,老無以教之,吾恥之,去其故鄉,事君而達,卒遇故人曾無舊言,吾鄙之;與小人處者,吾殆之也。」

新字:孔子曰:「吾有恥也,吾有鄙也,吾有殆也:幼不能彊學,老無以教之,吾恥之,去其故鄉,事君而達,卒遇故人曽無旧言,吾鄙之;与小人処者,吾殆之也。」

書き下し

孔子曰く、「吾に恥ずる有るなり、吾に鄙(いや)しむ有るなり、吾に殆(あや)うしとする有るなり。幼くして彊(つと)めて学ぶこと能わず、老いて以て之を教うる無きは、吾之を恥ず。其の故郷を去り、君に事(つか)えて達し、卒(にわ)かに故人に遇うも曾(すなわ)ち旧言無きは、吾之を鄙しむ。小人と処(お)る者は、吾之を殆うしとするなり」と。

現代語訳

孔子は言った、「私には恥とすることがあり、卑しいと思うことがあり、危ういと思うことがある。若いときに努めて学ぶことができず、年老いてから人に教えるものが何もない。これを私は恥とする。故郷を離れ、君主に仕えて出世し、ふと昔なじみに出会っても、昔と変わらぬ言葉ひとつかけない。これを私は卑しいと思う。小人とばかり付き合っている者。これを私は危ういと思う」。

解説

孔子が、自分が恥ずかしいと思うこと、卑しいと思うこと、危ういと思うことを、三つ並べて語る短い一段です。第一の恥は、若いうちに学ばず、年を取ってから人に伝えるものを何も持っていないこと。学びの怠りは、そのまま次の世代への責任の放棄になるという厳しい指摘です。第二の卑しさは、出世した後に昔の知り合いと会っても、昔ながらの言葉をかけられなくなること。地位が上がると人は態度を変えがちですが、それを孔子は「卑しい」と切り捨てます。第三の危うさは、小人とばかり付き合うこと。人は周囲の水準にじわじわ引き寄せられていくからです。この三つは、そのまま現代の私たちへの問いになります。学び続けているか、立場が変わっても人への接し方を変えていないか、そして誰と時間を過ごしているか。日々の選択の積み重ねが、その人の格を決めていきます。

この一句を、あなたの毎日に。

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