荀子 / 大略篇
君子壹教,弟子壹學,亟成。
新字:君子壱教,弟子壱学,亟成。
書き下し
君子壹(もっぱ)ら教へ、弟子壹ら学べば、亟(すみ)やかに成る。
現代語訳
師たる君子がひたすら一つのことに専心して教え、弟子もひたすら一つのことに専心して学べば、成果はすみやかに上がる。
解説
わずか十字ほどの短い一句ですが、学びの効率を決めるものは何かを言い当てています。「壹(いつ)」は、あれこれ手を広げずに一点に集中する、心を二つに分けないという意味です。教える側が方針をぶらさず一貫して教え、学ぶ側も気を散らさず一つのことに打ち込む。この二つが噛み合ったとき、上達は驚くほど速くなる、というのです。逆に言えば、進みが遅い原因の多くは才能ではなく、教える側と学ぶ側のどちらかが散漫になっていることにあります。私たちの仕事や勉強でも、教材を次々に変えたり、指導方針が担当者ごとにばらついたりすると、時間だけが過ぎていきます。まず学ぶ対象を一つに絞り、教える側もメッセージを統一する。それだけで習得の速度は変わります。
この章句が説くこと
専心集中師弟速やかな上達
関連する章句
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荀子・大略篇善く学ぶ者は其の理を尽くし、善く行ふ者は其の難きを究(きは)む。
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荀子・勧学篇螾に爪牙の利き、筋骨の強き無きも、上は埃土を食らい、下は黄泉を飲むは、用心一なればなり。蟹は八跪にして二螯なるも、蛇蟺の穴に非ざれば、寄託す可き者無きは、用心躁なればなり。是の故に冥冥の志無き者は、昭昭の明無く、惛惛の事無き者は、赫赫の功無し。衢道を行く者は至らず、両君に事うる者は容れられず。目は両つながら視て明らかなる能わず、耳は両つながら聴きて聡なる能わず。螣蛇は足無くして飛び、梧鼠は五技にして窮す。詩に曰く、「尸鳩桑に在り、其の子七つ。淑人君子、其の儀一なり。其の儀一なれば、心結ぶが如し」と。故に君子は一に結ぶなり。
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荀子・大略篇君子の学は蛻(ぬけがら)の如し、幡然(はんぜん)として之に遷(うつ)る。故に其の行(ゆ)くも効(なら)ひ、其の立つも効ひ、其の坐するも効ひ、其の顔色(がんしょく)を置き、辞気(じき)を出だすも効ふ。善を留(とど)むること無く、問ひを宿(しゅく)すること無し。
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『慎思録』巻之五文中子曰く、雑学せず、故に明らかなり、と。蓋し学を為すこと純一にして雑ならざれば、則ち義理に通徹して、蔽昧の患無し。其の理豈に光明ならざるを得んや。学を為すこと専一ならざれば、則ち其の志立たず、其の功成らず。故に学は専一を貴ぶ。程子曰く、専一ならざれば、則ち直遂すること能はず、と。是れ必然の理なり。小道に於ても亦然り。況んや大道に於てをや。専一とは、心を用ゐること分かたざるの謂なり。
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孟子・告子章句上孟子曰く、「王の不智を或むこと無かれ。天下生じ易きの物有りと雖も、一日之を暴(あたためる)め、十日之を寒(ひやす)さば、未だ能く生ずる者有らざるなり。吾が見ゆるも亦た罕なり。吾退きて之を寒す者至る。吾萌すこと有るを如何せんや。今、夫れ弈の數為る、小數なれども、心を專らにし志を致さざれば、則ち得ざるなり。弈秋は、通國の弈を善くする者なり。弈秋をして二人に弈を誨えしむるに、其の一人は心を專らにし志を致し、惟だ弈秋に之を聽くことを為す。一人は之を聽くと雖も、一心には以為らく、鴻鵠將に至らんとする有りと。弓繳(シャク)を援きて之を射んことを思わば、之と俱に學ぶと雖も、之に若かず。是れ其の智若かざるが為か。曰く、然るには非ざるなり。」
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