荀子 / 大略篇
少不諷誦,壯不論議,雖可,未成也。
新字:少不諷誦,壮不論議,雖可,未成也。
書き下し
少(わか)くして諷誦(ふうしょう)せず、壮(そう)にして論議せざれば、可なりと雖(いへど)も、未だ成らざるなり。
現代語訳
若いうちに書物を声に出して暗誦することをせず、壮年になって人と議論を戦わせることをしなければ、たとえそれなりの人物であっても、まだ完成したとは言えない。
解説
人生の段階ごとに、やっておくべき学びの型がある、という一段です。若いうちは諷誦、つまり書物を声に出してくり返し読み、体に染み込ませる。壮年になったら論議、つまり人と考えをぶつけ合い、自分の理解を鍛える。この二つを踏んでいなければ、たとえまずまずの人物に見えても、まだ完成には至っていないと荀子は言います。順序に意味があります。まず型を身体に入れ、それから型を使って考えを戦わせる。土台のないまま議論に走れば口が達者になるだけですし、暗誦だけで終われば知識が動きません。大人になってからでも、この構図は使えます。基本を反復して手に馴染ませる時期と、それを他者にぶつけて検証する時期。どちらかを飛ばしていないか、自分の学び方を点検してみる価値があります。