荀子 / 大略篇
學問不厭,好士不倦,是天府也。
新字:学問不厭,好士不倦,是天府也。
書き下し
学問して厭(いと)はず、士を好みて倦(う)まざる、是(こ)れ天府(てんぷ)なり。
現代語訳
学び問うことに飽きることがなく、すぐれた人物を求めることに倦むことがない。これこそが、尽きることのない天の宝蔵である。
解説
天府とは天の宝蔵、いくら汲んでも尽きない蓄えのことです。荀子はさきに、六経の広大な学びこそが天府だと述べていましたが、ここではもう一歩進めて、学び続ける心とすぐれた人を求め続ける心、その姿勢そのものが天府だと言い切ります。宝は外にあるのではなく、飽きずに学び、倦まずに人を求めるという態度のなかにある、というのです。この二つが並んでいるのが大事なところで、書物から学ぶことと、人から学ぶことは車の両輪です。どちらか一方に偏れば、知識は独りよがりになるか、受け売りになるかのどちらかに傾きます。仕事でも、本や資料を読み込む時間と、自分より優れた人に会いに行く時間の両方を確保している人は、いつまでも伸び続けます。尽きない資産を持ちたければ、この二つの姿勢を絶やさないことです。
この章句が説くこと
天府学問に飽きない人に学ぶ尽きない資産
関連する章句
-
荀子・大略篇知らずして堯舜(ぎょうしゅん)に問ひ、有(も)つこと無くして天府(てんぷ)に求む。曰く、先王の道は、則ち堯舜のみ。六貳(りくじ)の博きは、則ち天府のみ。
-
荀子・大略篇多く知りて親(しん)無く、博(ひろ)く学びて方(ほう)無く、多きを好みて定まること無き者は、君子は与(くみ)せず。
-
荀子・儒効篇我れ賤しくして貴く、愚かにして智に、貧しくして富まんと欲す、可ならんか。曰く、其れ唯だ学か。彼の学ぶ者、之を行えば、士と曰うなり。焉れに敦く慕えば、君子なり。之を知れば、聖人なり。上は聖人と為り、下は士・君子と為る、孰か我を禁ぜんや。郷には混然たる涂の人なるに、俄かにして堯・禹に並ぶ、豈に賤しくして貴からずや。郷には門室の弁を効すも、混然として曾て決すること能わざるに、俄かにして仁義に原づき、是非を分かち、天下を掌上に円回して、黒白を弁ず、豈に愚にして知ならずや。郷には胥靡の人なるに、俄かにして天下を治むるの大器挙て此に在り、豈に貧しくして富まずや。今茲に人有り、屑然として千溢の宝を蔵すれば、行貣して食らうと雖も、人之を富めりと謂う。彼の宝なる者は、之を衣んとするも衣るべからず、之を食らわんとするも食らうべからず、之を売らんとするも僂かに售るべからず。然れども人之を富めりと謂うは何ぞや。豈に大富の器誠に此に在らずや。是れ杅杅として亦た富人なるのみ、豈に貧しくして富まずや。故に君子は爵無くして貴く、禄無くして富み、言わずして信ぜられ、怒らずして威あり、窮処して栄え、独居して楽しむ。豈に至尊・至富・至重・至厳の情、挙て此に積もらずや。
-
荀子・大略篇善く学ぶ者は其の理を尽くし、善く行ふ者は其の難きを究(きは)む。
-
荀子・大略篇君子進めば則ち上の誉れを益し、而して下の憂ひを損(へら)す。能はずして之に居るは、誣(し)ふるなり。益無くして厚く受くるは、竊(ぬす)むなり。学ぶ者は必ずしも仕ふるが為ならず、而れども仕ふる者は必ず学ぶが如くす。
-
荀子・勧学篇学は其の人に近づくより便なるは莫し。礼楽は法として説かず、詩書は故にして切ならず、春秋は約にして速ならず。方に其の人の君子の説を習うに、則ち尊びて以て遍く、世に周し。故に曰く、学は其の人に近づくより便なるは莫しと。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る