荀子 / 大略篇
不足於行者,說過;不足於信者,誠言。故春秋善胥命,而詩非屢盟,其心一也。善為詩者不說,善為易者不占,善為禮者不相,其心同也。
新字:不足於行者,説過;不足於信者,誠言。故春秋善胥命,而詩非屢盟,其心一也。善為詩者不説,善為易者不占,善為礼者不相,其心同也。
書き下し
行ひに足らざる者は、説(せつ)過ぐ。信に足らざる者は、言を誠(まこと)にす。故に春秋(しゅんじゅう)は胥命(しょめい)を善(よ)みし、詩は屢(しばしば)盟(ちか)ふを非とす。其の心は一なり。善く詩を為(をさ)むる者は説かず、善く易(えき)を為むる者は占はず、善く礼を為むる者は相(たす)けず。其の心は同じきなり。
現代語訳
行いの足りない者ほど、口で説くことが度を越す。信用の足りない者ほど、言葉を飾って誠実そうに言い立てる。だから春秋は、諸侯が言葉だけで約束を交わす胥命を良しとし、詩は、たびたび盟いを重ねることを非難した。その心は一つである。詩をよく修めた者は、あれこれ解説しない。易をよく修めた者は、占わない。礼をよく修めた者は、儀式の介添え役を務めない。その心もまた同じである。
解説
言葉が多くなるのは、中身が足りない証拠だという痛烈な一段です。行いの足りない者ほど説明が過剰になり、信用の足りない者ほど言葉を誠実らしく飾り立てる。だから春秋は、言葉だけで交わす簡素な約束を良しとし、詩は、何度も誓いを重ねることを非難した。誓いを重ねなければならないのは、そもそも信がないからです。後半はさらに踏み込みます。詩に通じた者はくどくど解説せず、易に通じた者は占わず、礼に通じた者は介添え役をしない。本当に身についた者は、それを誇示する必要がないのです。私たちも、自信のない企画ほど説明資料が厚くなり、信頼のない関係ほど確認の回数が増えます。言葉が増えはじめたら、足りないのは言葉ではないと疑ってみるべきかもしれません。