荀子 / 大略篇
言而不稱師謂之畔,教而不稱師謂之倍。倍畔之人,明君不內,朝士大夫遇諸塗不與言。
新字:言而不稱師謂之畔,教而不稱師謂之倍。倍畔之人,明君不內,朝士大夫遇諸塗不与言。
書き下し
言ひて師を称せざる、之を畔(はん)と謂(い)ひ、教へて師を称せざる、之を倍(ばい)と謂ふ。倍畔(ばいはん)の人は、明君(めいくん)内(い)れず、朝(ちょう)の士大夫(したいふ)は、諸(これ)に塗(みち)に遇(あ)ふも与(とも)に言(ものい)はず。
現代語訳
物を語りながら師の教えを挙げないこと、これを畔(そむき)という。人に教えながら師の教えに拠らないこと、これを倍(そむき)という。師にそむいたこのような人間は、聡明な君主は召し抱えないし、朝廷に仕える士大夫たちも、道で出会っても口をきこうとしない。
解説
学んだことを、まるで自分ひとりの見識であるかのように語る。それを荀子は師への裏切りと呼び、そういう人物は君主も召し抱えず、同僚も道で会っても口をきかないとまで言います。ずいぶん厳しい断罪に見えますが、荀子が師をこれほど重んじるのには理由があります。人は生まれつきでは正しくなれず、師と規範があってはじめて道を得られる、というのが彼の一貫した立場だからです。だとすれば、師を隠すことは、自分がどこから来たかを偽ることになります。この主張は現代にもそのまま通じます。誰かの知見を借りたなら、その出どころを明示する。教わったことを人に伝えるときは、教えてくれた人の名を出す。手柄を独り占めしないというマナーの話であると同時に、自分の言葉の根拠を示すという知的誠実さの話でもあります。