荀子 / 大略篇
君子隘窮而不失,勞倦而不苟,臨患難而不忘細席之言。歲不寒無以知松柏,事不難無以知君子無日不在是。
新字:君子隘窮而不失,労倦而不苟,臨患難而不忘細席之言。歳不寒無以知松柏,事不難無以知君子無日不在是。
書き下し
君子は隘窮(あいきゅう)すれども失はず、労倦(ろうけん)すれども苟(いやしく)もせず、患難(かんなん)に臨みて細席(さいせき)の言を忘れず。歳(とし)寒からざれば以て松柏(しょうはく)を知る無く、事(こと)難からざれば以て君子の日として是(ここ)に在らざる無きを知る無し。
現代語訳
君子は行き詰まって苦しい境遇にあっても節操を失わず、疲れ果てても仕事をおろそかにせず、災難に直面してもふだん座して語り合った言葉を忘れない。年が寒くならなければ松や柏の常緑を見分けられないように、事が困難にならなければ、君子が一日としてその道を離れていないことを知ることはできない。
解説
苦境こそが人を見分ける、という一段です。追い詰められても節を曲げない、疲れ切ってもいい加減にしない、災難のなかでもふだん語り合った言葉を忘れない。この三つが並べられたあとに、松柏のたとえが置かれます。冬の寒さが来て初めて、枯れずに緑を保つ松や柏が見分けられる。同じように、事が困難になって初めて、君子が一日も道を離れていなかったことが分かるのだ、というのです。順境ではみな立派に見えますから、平時の姿はほとんど情報になりません。真価は逆境でしか現れないのです。とりわけ胸に刺さるのは、平生のくつろいだ席で語った言葉を、患難のときにも忘れないという一句でしょう。調子のよいときに口にした約束を、苦しいときにも守れるか。そこが分かれ目です。
この章句が説くこと
逆境が人を試す松柏の節操平生の言葉を守る苦しいときの姿勢逆境
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