荀子 / 大略篇
主道知人,臣道知事。故舜之治天下,不以事詔而萬物成。農精於田,而不可以為田師,工賈亦然。
新字:主道知人,臣道知事。故舜之治天下,不以事詔而万物成。農精於田,而不可以為田師,工賈亦然。
書き下し
主道(しゅどう)は人を知り、臣道(しんどう)は事を知る。故に舜(しゅん)の天下を治むるや、事を以て詔(つ)げずして万物成る。農は田に精(くわ)しきも、以て田師(でんし)と為すべからず。工賈(こうこ)も亦(ま)た然り。
現代語訳
君主の道は人を見抜くことにあり、臣下の道は仕事に通じることにある。だから舜が天下を治めたときには、いちいち具体的な仕事を指図しなくても、あらゆることが成し遂げられた。農民は田のことに詳しいが、だからといって農政の長官にすることはできない。職人や商人の場合も、また同じである。
解説
上に立つ者と実務を担う者とでは、身につけるべき能力がそもそも違う、という一段です。君主が知るべきは人であり、臣下が知るべきは仕事である。だから舜は細かな指図をしなかったのに、すべてが回った。人を見抜いて適所に置きさえすれば、あとは任せた者が仕事を知っているからです。後半はさらに一歩踏み込んで、田に詳しい農民をそのまま農政の長官にはできないと言います。実務に精通していることと、人を見て組織を動かすこととは別の能力だからです。優秀なプレーヤーを、その優秀さだけを理由に管理職に据えると失敗する。現代の職場でくり返し起きるこの問題を、荀子はすでに言い当てています。役職が変わったら、磨くべき力も変わる。当たり前のようで、忘れやすい原則です。
この章句が説くこと
人を知る任せる力実務と管理は別適材適所役割分担無為
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