荀子 / 大略篇
「義」與「利」者,人之所兩有也。雖堯舜不能去民之欲利;然而能使其欲利不克其好義也。雖桀紂不能去民之好義;然而能使其好義不勝其欲利也。故義勝利者為治世,利克義者為亂世。上重義則義克利,上重利則利克義。故天子不言多少,諸侯不言利害,大夫不言得喪,士不通貨財。有國之君不息牛羊,錯質之臣不息雞豚,冢卿不脩幣,大夫不為場園,從士以上皆羞利而不與民爭業,樂分施而恥積藏;然故民不困財,貧窶者有所竄其手。
新字:「義」与「利」者,人之所両有也。雖堯舜不能去民之欲利;然而能使其欲利不克其好義也。雖桀紂不能去民之好義;然而能使其好義不勝其欲利也。故義勝利者為治世,利克義者為乱世。上重義則義克利,上重利則利克義。故天子不言多少,諸侯不言利害,大夫不言得喪,士不通貨財。有国之君不息牛羊,錯質之臣不息鶏豚,冢卿不脩幣,大夫不為場園,従士以上皆羞利而不与民争業,楽分施而恥積蔵;然故民不困財,貧窶者有所竄其手。
書き下し
「義」と「利」とは、人の両(ふた)つながら有する所なり。堯舜(ぎょうしゅん)と雖(いへど)も民の利を欲するを去る能(あた)はず。然れども能く其の利を欲するをして其の義を好むに克(か)たざらしむ。桀紂(けっちゅう)と雖も民の義を好むを去る能はず。然れども能く其の義を好むをして其の利を欲するに勝たざらしむ。故に義の利に勝つ者は治世と為り、利の義に克つ者は乱世と為る。上(かみ)義を重んずれば則ち義は利に克ち、上利を重んずれば則ち利は義に克つ。故に天子は多少を言はず、諸侯は利害を言はず、大夫は得喪(とくそう)を言はず、士は貨財に通ぜず。国を有(たも)つの君は牛羊を息(ふや)さず、質(し)を錯(お)くの臣は雞豚(けいとん)を息さず、冢卿(ちょうけい)は幣(へい)を脩(をさ)めず、大夫は場園(じょうえん)を為(つく)らず、士より以上は皆(みな)利を羞(は)ぢて民と業を争はず、分施(ぶんし)を楽しみて積蔵(せきぞう)を恥づ。然る故に民は財に困(くる)しまず、貧窶(ひんく)なる者も其の手を竄(お)く所有り。
現代語訳
義と利とは、人が両方ともあわせ持っているものである。堯や舜のような聖王でも、民から利を欲する心を消し去ることはできなかった。しかし、その利を欲する心が義を好む心に打ち勝たないようにすることはできた。桀や紂のような暴君でも、民から義を好む心を消し去ることはできなかった。しかし、その義を好む心が利を欲する心に勝てないようにしてしまった。だから、義が利に勝つ世は治まった世となり、利が義に勝つ世は乱れた世となる。上に立つ者が義を重んじれば義が利に勝ち、上に立つ者が利を重んじれば利が義に勝つ。だから天子は財の多い少ないを口にせず、諸侯は損得を口にせず、大夫は得失を口にせず、士は商いで財貨をやりとりしない。国を保つ君主は牛や羊を殖やして儲けず、俸禄をもらって仕える臣は鶏や豚を殖やさず、上級の大臣は財貨をため込まず、大夫は市場や菜園を営まない。士から上の者はみな利を追うことを恥じて民と生業を争わず、分け与えることを楽しみ、ため込むことを恥じる。そうであればこそ民は財に困らず、貧しい者も手を働かせて暮らしていける場所を得るのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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荀子・大略篇上(かみ)義を好めば、則ち民は闇(ひそ)かに飾(かざ)る。上富を好めば、則ち民は利に死す。二者は治乱の衢(ちまた)なり。民の語(ことわざ)に曰く、「富まんと欲するか。恥を忍べ。傾絶(けいぜつ)せよ。故旧(こきゅう)を絶て。義と分背(ぶんぱい)せよ」と。上富を好めば、則ち人民の行ひ此(か)くの如し、安(いづく)んぞ乱れざるを得んや。
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荀子・彊国篇凡そ姦人の起こる所以の者は、上の義を貴ばず、義を敬せざるを以てなり。夫れ義なる者は、人の悪と姦とを為すを限禁する所以の者なり。今、上、義を貴ばず、義を敬せず、是くの如くなれば、則ち天下の人・百姓は、皆な義を棄つるの志有りて、姦に趨るの心有らん。此れ姦人の起こる所以なり。且つ上は下の師なり。夫れ下の上に和するは、之を譬うれば猶お響の声に応じ、影の形に像るがごとし。故に人の上たる者は、順ならざるべからざるなり。夫れ義なる者は、内は人に節し、而して外は万物に節する者なり。上は主に安んじ、而して下は民に調う者なり。内外上下節するは、義の情なり。然らば則ち凡そ天下を為むるの要は、義を本と為して、信之に次ぐ。古者、禹湯は義を本とし信に務めて天下治まり、桀紂は義を棄て信に倍きて天下乱る。故に人の上たる者は、必ず将に礼義を慎み、忠信に務めて、然る後に可ならんとす。此れ人に君たる者の大本なり。堂上糞われざれば、則ち郊草も瞻て芸らず。白刃、胸に扞れば、則ち目は流矢を見ず。戟を抜きて首に加わらば、則ち十指も断たるるを辞せず。此れを以て務めと為さざるに非ず、疾養緩急の相い先んずる有ればなり。
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荀子・栄辱篇栄辱の大分、安危利害の常体。義を先にして利を後にする者は栄え、利を先にして義を後にする者は辱めらる。栄うる者は常に通じ、辱めらるる者は常に窮す。通ずる者は常に人を制し、窮する者は常に人に制せらる。是れ栄辱の大分なり。材愨(ざいかく)なる者は常に安利、蕩悍(とうかん)なる者は常に危害。安利なる者は常に楽易(らくい)、危害なる者は常に憂険(ゆうけん)。楽易なる者は常に寿長、憂険なる者は常に夭折す。是れ安危利害の常体なり。
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『慎思録』巻之六近世の俗儒、名を好み異を立つるを以て心と為す者は、義利公私の弁を知らず、徒に利を言はざるを以て高しと為す。故に大学の所謂国は利を以て利と為さず、義を以て利と為すの言を疑ひて、以て利を言ふの事にして、君子の言に非ずと為す。知らず、利は是れ身を養ひ民を養ひ、国家に無かるべからざるの事、即ち是れ義の和なることを。故に君子も亦利を欲せざるに非ず。蓋し義有りて利自ら来たれば、則ち義に於いて害無し。只義を舎てて利を取り、利の為に義を行ふ者は、不可なり。苟も義を以て主と為せば、則ち利も亦義なり。利を以て主と為せば、則ち義も亦利なり。公私の間に在るのみ。蓋し利は人に施すべくして、己に専らにすべからず。夫子罕に利を言ふは、利を言はざるに非ざるなり。
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荀子・栄辱篇夫れ貴きこと天子と為り、富は天下を有(たも)つは、是れ人情の同じく欲する所なり。然れば則ち人の欲に従わば、則ち埶(せい)は容るる能わず、物は贍(た)る能わざるなり。故に先王案(すなわ)ち之が為に礼義を制して以て之を分かち、貴賤の等、長幼の差、知愚能不能の分有らしめ、皆な人をして其の事を載(にな)わしめて、各々其の宜しきを得しむ。然る後に穀禄(こくろく)の多少厚薄をして称(かな)わしむ。是れ夫の群居和一の道なり。故に仁人上に在れば、則ち農は力を以て田を尽くし、賈は察を以て財を尽くし、百工は巧を以て械器を尽くし、士大夫より以上公侯に至るまで、仁厚知能を以て官職を尽くさざるは莫し。夫れ是れを之れ至平と謂う。故に或いは天下を禄せられて、而も自ら以て多しと為さず、或いは門を監(み)旅を御し、関を抱き柝(たく)を撃ちて、而も自ら以て寡(すく)なしと為さず。故に曰く、「斬(ふぞろい)にして斉(ととの)い、枉(まが)りて順(したが)い、同じからずして一なり」と。夫れ是れを之れ人倫と謂う。詩に曰く、「小共大共を受け、下国の駿蒙(しゅんもう)と為る」と。此れの謂いなり。
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荀子・王制篇分均しければ則ち偏からず、勢斉しければ則ち壱ならず、衆斉しければ則ち使われず。天有り地有りて、上下に差有り、明王始めて立ちて、国に処するに制有り。夫れ両つながら貴き者の相事うる能わず、両つながら賤しき者の相使う能わざるは、是れ天数なり。勢位斉しくして、欲悪同じければ、物澹らざれば則ち必ず争う。争えば則ち必ず乱れ、乱るれば則ち窮す。先王は其の乱るるを悪むなり、故に礼義を制して以て之を分かち、貧富貴賤の等有りて、以て相兼臨するに足らしむるは、是れ天下を養うの本なり。書に曰く、維れ斉しきは斉しからずと。此れを之れ謂うなり。
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