荀子 / 大略篇
今夫亡箴者,終日求之而不得;其得之也,非目益明也,眸而見之也。心之於慮亦然。
書き下し
今夫(そ)れ箴(はり)を亡(うしな)ふ者は、終日之を求むれども得ず。其の之を得るや、目の益(ますま)す明らかなるに非(あら)ざるなり、眸(ひとみ)を凝らして之を見るなり。心の慮(おもんぱか)りに於(お)けるも亦(ま)た然り。
現代語訳
針をなくした人は、一日じゅう探しまわっても見つけられない。それが見つかったときも、目が急によく見えるようになったからではない。ひとみを凝らして、そこをじっと見たからである。心が物事を考えるときも、これと同じである。
解説
針をなくして半日探し、ふと見つかる。あの瞬間に何が変わったのかと問うています。視力が上がったわけではなく、ただ一点に目を凝らしただけだ、と荀子は言います。そして考えるという行為もまったく同じだというのです。答えが出ないとき、私たちはつい頭の良し悪しのせいにしますが、多くの場合は注意が散っているだけで、能力の問題ではありません。荀子は解蔽篇などでも、心が散って一つに定まらないことを思考の最大の敵として扱っており、この短い断章もその系譜にあります。仕事や勉強で行き詰まったときに必要なのは、新しい情報をもう一つ足すことよりも、いま抱えている問いを一つに絞り、そこにひとみを凝らす時間かもしれません。集中とは、才能ではなく手順である。そう受け取れる一段です。
この章句が説くこと
集中思考のコツ注意を凝らす心を一つにする
関連する章句
-
『呻吟語』内篇・談道・從容に得て急遽に失ふ物を覓むる者は、苦だ求めて得ず、或いは之を視れども見えず。他日覓むるに事無きや、乃ち之を得たり。物に趨避有るに非ず、目の急求に眩めばなり。天下の事は、每に從容に得て之を急遽に失ふ。
-
荀子・大略篇君子壹(もっぱ)ら教へ、弟子壹ら学べば、亟(すみ)やかに成る。
-
荀子・解蔽篇空石の中に人有り、其の名を觙と曰う。其の人と為りや、善く射て以て思うことを好む。耳目の欲接すれば、則ち其の思いを敗る。蚊虻の声聞こゆれば、則ち其の精を挫く。是を以て耳目の欲を闢け、蚊虻の声を遠ざけ、閑居静思すれば則ち通ず。仁を思うこと是くの若きは、微と謂うべきか。孟子は敗るるを悪みて妻を出だす、能く自ら彊むと謂うべし。有子は臥するを悪みて掌を焠く、能く自ら忍ぶと謂うべし。未だ好むには及ばざるなり。耳目の欲を闢くるは、自ら彊むと謂うべきも、未だ思うには及ばざるなり。蚊虻の声聞こゆれば則ち其の精を挫くは、危うしと謂うべきも、未だ微と謂うべからざるなり。夫れ微なる者は、至人なり。至人なる者は、何ぞ彊めん、何ぞ忍ばん、何ぞ危うからんや。故に濁明は外を景らし、清明は内を景らす。聖人は其の欲を縦にし、其の情を兼ねて、而も焉を制する者は理なり。夫れ何ぞ彊めん、何ぞ忍ばん、何ぞ危うからんや。故に仁者の道を行うや、為すこと無きなり。聖人の道を行うや、彊むること無きなり。仁者の思いや恭、聖者の思いや楽し。此れ心を治むるの道なり。
-
荀子・勧学篇螾に爪牙の利き、筋骨の強き無きも、上は埃土を食らい、下は黄泉を飲むは、用心一なればなり。蟹は八跪にして二螯なるも、蛇蟺の穴に非ざれば、寄託す可き者無きは、用心躁なればなり。是の故に冥冥の志無き者は、昭昭の明無く、惛惛の事無き者は、赫赫の功無し。衢道を行く者は至らず、両君に事うる者は容れられず。目は両つながら視て明らかなる能わず、耳は両つながら聴きて聡なる能わず。螣蛇は足無くして飛び、梧鼠は五技にして窮す。詩に曰く、「尸鳩桑に在り、其の子七つ。淑人君子、其の儀一なり。其の儀一なれば、心結ぶが如し」と。故に君子は一に結ぶなり。
-
『呻吟語』内篇・存心・一事に心を留めざれば、一事其の理を得ず只だ一事に心を留めざれば、便ち一事の其の理を得ざる有り。一物に心を留めざれば、便ち一物の其の所を得ざる有り。
-
『呻吟語』内篇・應務・緊要の處の一著に心を留む天下の大事を計るは、只だ緊要の處の一著に在りて心を留め力を用ふ。別個は都て顧み得ず。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る