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荀子 / 大略篇

今夫亡箴者,終日求之而不得;其得之也,非目益明也,眸而見之也。心之於慮亦然。

書き下し

今夫(そ)れ箴(はり)を亡(うしな)ふ者は、終日之を求むれども得ず。其の之を得るや、目の益(ますま)す明らかなるに非(あら)ざるなり、眸(ひとみ)を凝らして之を見るなり。心の慮(おもんぱか)りに於(お)けるも亦(ま)た然り。

現代語訳

針をなくした人は、一日じゅう探しまわっても見つけられない。それが見つかったときも、目が急によく見えるようになったからではない。ひとみを凝らして、そこをじっと見たからである。心が物事を考えるときも、これと同じである。

解説

針をなくして半日探し、ふと見つかる。あの瞬間に何が変わったのかと問うています。視力が上がったわけではなく、ただ一点に目を凝らしただけだ、と荀子は言います。そして考えるという行為もまったく同じだというのです。答えが出ないとき、私たちはつい頭の良し悪しのせいにしますが、多くの場合は注意が散っているだけで、能力の問題ではありません。荀子は解蔽篇などでも、心が散って一つに定まらないことを思考の最大の敵として扱っており、この短い断章もその系譜にあります。仕事や勉強で行き詰まったときに必要なのは、新しい情報をもう一つ足すことよりも、いま抱えている問いを一つに絞り、そこにひとみを凝らす時間かもしれません。集中とは、才能ではなく手順である。そう受け取れる一段です。

この一句を、あなたの毎日に。

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