荀子 / 大略篇
孟子三見宣王,不言事。門人曰:「曷為三遇齊王而不言事?」孟子曰:「吾先攻其邪心。」
新字:孟子三見宣王,不言事。門人曰:「曷為三遇斉王而不言事?」孟子曰:「吾先攻其邪心。」
書き下し
孟子(もうし)、三たび宣王(せんおう)に見(まみ)ゆるも、事を言はず。門人(もんじん)曰く、「曷為(なんす)れぞ三たび斉王(せいおう)に遇(あ)ひて事を言はざる」と。孟子曰く、「吾(われ)先(ま)づ其の邪心を攻(せ)む」と。
現代語訳
孟子は三度も斉の宣王に会見したが、政務の具体的な話は一切しなかった。弟子が尋ねた。「どうして三度も斉王にお会いになりながら、政務の話をなさらないのですか」。孟子は答えた。「わたしはまず、王のよこしまな心を攻めて正そうとしているのだ」。
解説
三度も君主に会いながら、政策の話をまったくしない孟子。不審がる弟子への答えが「まず心を正す」でした。どんなに正しい政策を並べても、それを受け取る側の心が私欲や打算に傾いていれば、都合のよいところだけつまみ食いされて終わります。だから順序として、器のほうを先に整える。ここでの「攻む」は攻撃ではなく、病を治すように悪いところを取り除くという意味合いです。私たちの日常でも、相手に何かを提案するとき、内容の完成度ばかり磨いて、相手がどんな前提や動機でそれを聞くのかを考えていないことがあります。相手の判断の土台が歪んでいると感じたら、まずそこに手を入れる。急がば回れの説得術として、いまも十分に通用する話です。
この章句が説くこと
孟子邪心を正す説得の順序根本から直す信頼信念
関連する章句
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孟子・梁惠王章句下滕の文公、問いて曰く、「滕は、小國なり。力を竭くして以て大國に事うるも、則ち免るるを得ず。之を如何せば則ち可ならん。」孟子對えて曰く、「昔者、大王、邠に居る。狄人、之を侵す。之に事うるに皮幣を以てすれども、免るるを得ず。之に事うるに犬馬を以てすれども、免るるを得ず。之に事うるに珠玉を以てすれども、免るるを得ず。乃ち其の耆老を屬(あつめる)めて、之に告げて曰く、『狄人の欲する所の者は、吾が土地なり。吾、之を聞く。君子は人を養う所以の者を以て人を害せずと。二三子、何ぞ君無きを患えん。我將に之を去らんとす。』邠を去り、梁山を踰え,岐山の下に邑して居る。邠人曰く、『仁人なり、失う可からざるなり。』之に從う者、市に歸(おもむく)くが如し。或いは曰く、『世々の守りなり。身の能く為す所に非ざるなり。死を效すも去る勿れ。』君請う斯の二者を擇べ。」
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孟子・滕文公章句下陳代曰く、「諸侯を見ざるは、宜(ほとんど)ど小なるが若く然り。今、一たび之を見ば、大は則ち以て王たらしめ、小は則ち以て霸たらしめん。且つ志に曰く、『尺を枉げて尋を直くす。』宜ど為す可きが若し。」孟子曰く、「昔、齊の景公田す。虞人を招くに旌を以てす。至らず。將に之を殺さんとす。『志士は溝壑に在るを忘れず、勇士は其の元を喪うを忘れず。』孔子奚をか取れる。其の招きに非ざれば往かざるを取れるなり。其の招きを待たずして往くが如きは何ぞや。且つ夫れ尺を枉げて尋を直くすとは、利を以て言うなり。如し利を以てせば、則ち尋を枉げ尺を直くして利あらば、亦た為す可きか。昔者、趙簡子、王良をして嬖奚と乘らしむ。終日にして一禽をも獲ず。嬖奚反命して曰く、『天下の賤工なり。』或ひと以て王良に告ぐ。良曰く、『請う之を復びせん。』彊いて後に可く。一朝にして十禽を獲たり。嬖奚反命して曰く、『天下の良工なり。』簡子曰く、『我、女と乘ることを掌らしめん。』王良に謂う。良可かず。曰く、『吾、之が為に我が馳驅を範すれば、終日一をも獲ず。之が為に詭遇すれば、一朝にして十を獲たり。詩に云う、其の馳することを失わざれば、矢を舍ちて破るが如し、と。我、小人と乘ることを貫わず。請う辭せん。』御者すら且つ射る者と比するを羞づ。比して禽獸を獲ること丘陵の若しと雖も、為さざるなり。道を枉げて彼に從うが如きは何ぞや。且つ子過てり。己を枉ぐる者は、未だ能く人を直くする者有らざるなり。」
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孟子・告子章句上孟子曰く、「魚は我が欲する所なり。熊掌も亦た我が欲する所なり。二者兼ぬるを得可からずんば、魚を舍てて熊掌を取る者なり。生も亦た我が欲する所なり。義も亦た我が欲する所なり。二者兼ぬるを得可からずんば、生を舎てて義を取る者なり。生も亦た我が欲する所なれども、欲する所生より甚だしき者有り。故に苟くも得るを為さざるなり。死も亦た我が惡む所なれども、惡む所死より甚だしき者有り。故に患も辟けざる所有るなり。如し人の欲する所をして生より甚だしきもの莫からしめば、則ち凡そ以て生を得可き者は、何ぞ用いざらんや。人の惡む所をして死より甚だしき者莫からしめば、則ち凡そ以て患いを辟く可き者は、何ぞ為さざらんや。是に由れば則ち生くるも、而も用いざること有るなり。是に由れば則ち以て患いを辟く可きも、而も為さざること有るなり。是の故に欲する所、生より甚だしき者有り、惡む所、死より甚だしき者有り。獨り賢者のみ是の心有るに非ざるなり。人皆之れ有り。賢者は能く喪うこと勿きのみ。一簞の食、一豆の羹も、之を得れば則ち生き、得ざれば則ち死す。嘑爾(コ・ジ)として之を與うれば、道を行くの人も受けず。蹴爾として之を與うれば、乞人も屑(いさぎよい)しとせざるなり。萬鍾は則ち禮義を辨ぜずして之を受く。萬鍾は我に於て何をか加えん。宮室の美・妻妾の奉・識る所の窮乏者の我に得るが為か。鄉には身の死するが為にして受けず。今は宮室の美の為に之を為す。鄉には身の死するが為にして受けず。今は妻妾の奉の為に之を為す。鄉には身の死するが為にして受けず。今は識る所の窮乏者の我に得るが為にして之を為す。是れ亦た以て已む可からざるか。此を之れ其の本心を失うと謂う。」
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史記 屈原賈生列伝乃ち懐沙の賦を作る。其の辞に曰く、「陶陶たる孟夏、草木莽莽たり。懐ひを傷ましめ永く哀しみ、汩として南土に徂く。眴として窈窈たり、孔だ静かにして幽墨なり。冤結紆軫し、愍に離ひて之れ長く鞠しむ。情を撫し志を效し、俛詘して以て自ら抑ふ。方を刓りて以て圜と為すも、常度未だ替らず。初めを易へ由るを本とするは、君子の鄙しむ所なり。画を章かにし墨を職とし、前度未だ改めず。内直く質重きは、大人の盛んとする所なり。巧匠斲らずんば、孰か其の揆の正しきを察せん。玄文幽処すれば、矇は之を章かならずと謂ふ。離婁微睇するも、瞽は以て明無しと為す。白を変じて黒と為し、上を倒にして以て下と為す。鳳皇笯に在りて、雞雉翔舞す。玉石を同糅して、一概にして相量る。夫の党人の鄙妒なる、羌吾が臧する所を知らず。任重く載盛んにして、陥滞して済らず。瑾を懐き瑜を握るも、窮して示す所を得ず。邑犬群がりて吠ゆるは、怪しむ所に吠ゆるなり。駿を誹り桀を疑ふは、固より庸態なり。文質疏内なるも、衆は吾の異采を知らず。材樸委積するも、余の有する所を知る莫し。仁を重ね義を襲ね、謹厚以て豊と為す。重華牾ふべからず、孰か余の従容を知らん。迸より固より并ばざる有り、豈に其の故を知らんや。湯禹久遠にして、邈として慕ふべからず。違ふを懲らし忿りを改め、心を抑へて自ら彊む。湣に離ひて遷らず、志の象有らんことを願ふ。路を進めて北に次り、日は昧昧として其れ将に暮れんとす。憂ひを含み哀しみを虞み、之を限るに大故を以てす。乱に曰く、浩浩たる沅・湘、分流して汨たり。修路幽拂にして、道遠く忽たり。曾ち唫じて恒に悲しみ、永く嘆じて慨く。世既に吾を知る莫く、人心謂ふべからず。情を懐き質を抱き、独り匹無し。伯楽既に歿し、驥将た焉くにか程らん。人生命を稟け、各々錯く所有り。心を定め志を広くせば、余何ぞ畏懼せん。曾ち傷み爰に哀しみ、永く嘆喟す。世溷りて吾を知らず、心謂ふべからず。死の譲るべからざるを知る、願はくは愛しむ勿からん。明らかに以て君子に告ぐ、吾将に以て類と為さんとす」と。
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『講孟余話』盡心上 第四十二章此の章専ら「道を以て人に殉ずる者」の非を云ふ。道は吾が身に存す、故に身は道の宅なり。道を以て人に殉ずるとは、道を抱きたる身を持ちながら、人に曲従阿諛し、非に陥り悪に没することにて、左すれば吾が身の道が他人の為に滅び死する故に、道が人の殉死となるなり。是れ「道を以て人に殉ず」の義なり。仁斎云く、「道の外に身なく、身の外に道なし。故に道を以て身に殉ずるに非ずんば、則ち身を以て道に殉ず。時に治否ありと雖も、而して身の道と、未だ嘗て相離れず」と。此の説、身と道との間、説き得て明白なり。別に議論に及ばず、只道と身と一物と成りて外道邪魔を防禦すべし。本文「人に殉ず」の意を反して云ふ。大要にて云はば、道は身の本尊にて、身の尊き所以は道にあり。身は道の伽藍にて、道の安置する所は身なり。如何なる大伽藍ありても、本尊なければ伽藍と云ふべからず。如何なる難有き本尊にても、水に流し火に投じては、灰塵となり泥沙に埋もるるのみ。故に本尊を守護するは伽藍に如くはなし、道を守護するは身に如くはなし。道の身と離れて相済まざるは、猶本尊と伽藍との如し。
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孟子・公孫丑章句下孟子、臣為るを致して歸る。王就いて孟子を見て曰く、「前日、見んことを願いて得可からず。同朝に侍するを得て甚だ喜べり。今、又寡人を棄てて歸る。識らず、以て此に繼いで見るを得可きか。」對えて曰く、「敢て請わざるのみ。固より願う所なり。」他日、王、時子に謂いて曰く、「我、中國にして孟子に室を授け、弟子を養うに萬鍾を以てし、諸大夫國人をして、皆矜式する所有らしめんと欲す。子盍ぞ我が為に之を言わざる。」時子、陳子に因りて以て孟子に告げしむ。陳子、時子の言を以て孟子に告ぐ。孟子曰く、「然り。夫の時子惡くんぞ其の不可なるを知らんや。如し予をして富を欲せしめば、十萬を辭して萬を受く。是れ富を欲すと為さんか。季孫曰く、『異なるかな子叔疑。己をして政を為さしむ。用いられざれば則ち亦た已まん。又其の子弟をして卿為らしむ。人亦た孰か富貴を欲せざらん。而して獨り富貴の中に於いて、龍斷を私する有り。』古の市為るや、其の有る所を以て其の無き所に易う者なり。有司は、之を治むるのみ。賤丈夫有り。必ず龍斷を求めて之に登り、以て左右望して市利を罔せり。人皆以て賤しと為す。故に從って之を征す。商を征するは、此の賤丈夫自り始まる。」
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