荀子 / 大略篇
禮者,本末相順,終始相應。
新字:礼者,本末相順,終始相応。
書き下し
礼とは、本末相ひ順ひ、終始相ひ応ずるものなり。
現代語訳
礼とは、根本と末端とが互いに従い合い、終わりと始めとが互いに呼応し合うものである。
解説
礼の全体像を、一句で言い切った一段です。本末が互いに従うとは、大事な根本と細かな末節とが噛み合っていて、どちらかが浮いていないということです。理念だけ立派で作法が伴わないのも、作法だけ細かくて理念を見失っているのも、どちらも礼ではありません。終始が呼応するとは、物事の始まりと終わりが一貫していることを指します。丁寧に始めたのに投げやりに終わる、あるいは終わりだけ取り繕う。それでは筋が通りません。この短い一句は、実は組織や仕事の質を測る物差しにもなります。掲げた理念と現場の細部は噛み合っているか。プロジェクトの立ち上げと締めくくりに、同じ真剣さを注げているか。始めと終わりを揃えること、それだけで仕事は見違えます。
この章句が説くこと
本末が順う終始の一貫理念と作法締めくくりの質礼道
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