荀子 / 大略篇
聘士之義,親迎之道,重始也。
書き下し
士を聘するの義、親迎の道は、始めを重んずるなり。
現代語訳
人材である士を礼を尽くして招くという道理も、婚礼にあたって自ら相手を迎えに行くという作法も、いずれも物事の始まりを重んじるということである。
解説
人を迎えるときの丁寧さは、始まりを大切にすることの表れだと説く一段です。有能な士を登用するときは、こちらから礼を尽くして招く。妻を迎えるときは、使いをやらずに自ら迎えに行く。どちらも手間のかかる作法ですが、その手間こそが、これから築く関係を軽く扱わないという意思表示になります。荀子は、始まりの扱いが関係のその後を決めると考えました。粗略に始まった関係は粗略に終わりやすく、丁重に始まった関係は互いを大切にし続ける力を持つのです。これは私たちの仕事にもそのまま当てはまります。新しく人を迎えるとき、新しい取引を始めるとき、最初の一手をどれだけ丁寧に打つか。入り口で節約した手間は、たいてい後から利子つきで返ってきます。
この章句が説くこと
始めを重んじる人材を招く礼親迎第一歩の丁寧さ人材登用孝
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