荀子 / 大略篇
言語之美,穆穆皇皇。朝廷之美,濟濟鎗鎗。
新字:言語之美,穆穆皇皇。朝廷之美,済済鎗鎗。
書き下し
言語の美は、穆穆皇皇たり。朝廷の美は、済済鎗鎗たり。
現代語訳
言葉づかいの美しさとは、和やかで奥ゆかしく、しかも堂々として輝かしいものである。朝廷の美しさとは、人々が数多く威儀を整えて並び、節度ある音が響き合うものである。
解説
言葉と場の、二つの美しさを対にして描いた一段です。穆穆は静かで慎み深いさま、皇皇は明るく堂々としたさまを表します。この二つが同居しているのが良い言葉づかいだと荀子は言います。つまり、へりくだるばかりでも、声高に押し出すばかりでもいけない。落ち着きと張りが両立してはじめて人の言葉は美しい。朝廷についても同じで、済済は人がずらりと威儀正しく並ぶさま、鎗鎗は佩玉や車の鈴が節度ある音を立てるさまです。整った場からは自然と心地よい音が立つ、というわけです。私たちの会議や打ち合わせにも通じます。話す言葉に慎みと芯の両方があるか、その場に節度ある調子が保たれているか。美しさは飾りではなく、秩序が整っていることの現れなのです。
この章句が説くこと
言葉づかい穆穆皇皇朝廷の威儀秩序の美
関連する章句
-
荀子・栄辱篇憍泄(きょうえい)なる者は、人の殃(わざわい)なり。恭倹なる者は、五兵を偋(しりぞ)くるなり。戈矛(かぼう)の刺有りと雖も、恭倹の利なるに如かざるなり。故に人に与(あた)うるに善言を以てすれば、布帛よりも煖(あたた)かなり。人を傷つくるの言は、矛戟(ぼうげき)よりも深し。故に薄薄(はくはく)たるの地も、之を履(ふ)むを得ざるは、地の安からざるに非ざるなり。足を危うくして履む所無き者は、凡(すべ)て言に在り。巨涂(きょと)には則ち譲り、小涂には則ち殆(あや)うし。謹まざらんと欲すと雖も、得ざるが若(ごと)きなり。
-
荀子・大略篇多く言ひて類するは、聖人なり。少なく言ひて法るは、君子なり。多く言ひて法無く、而して流湎(りゅうべん)然たるは、辯ずと雖も、小人なり。
-
荀子・大略篇和鸞の声、歩は武象に中り、趨は韶護に中る。君子は律を聴き容を習ひて而る後に出づ。
-
荀子・礼論篇礼なる者は、長きを断ちて短きを続ぎ、余り有るを損し、足らざるを益し、愛敬の文を達し、而して行義の美を滋し成す者なり。故に文飾と麤悪、声楽と哭泣、恬愉と憂戚とは、是れ反するなり。然れども礼は兼ねて之を用ひ、時に挙げて代はる代はる御ふ。故に文飾・声楽・恬愉は、平を持して吉に奉ずる所以なり。麤悪・哭泣・憂戚は、険を持して凶に奉ずる所以なり。故に其の文飾を立つるや、窕冶に至らず。其の麤悪を立つるや、瘠棄に至らず。其の声楽・恬愉を立つるや、流淫・惰慢に至らず。其の哭泣・哀戚を立つるや、隘懾して生を傷るに至らず。是れ礼の中流なり。
-
荀子・大略篇口能く之を言ひ、身能く之を行ふは、国の宝なり。口言ふ能はざるも、身能く之を行ふは、国の器なり。口能く之を言ふも、身行ふ能はざるは、国の用なり。口は善を言ひ、身は悪を行ふは、国の妖なり。国を治むる者は、其の宝を敬し、其の器を愛し、其の用に任じ、其の妖を除く。
-
荀子・礼論篇天地は以て合し、日月は以て明らかに、四時は以て序し、星辰は以て行り、江河は以て流れ、万物は以て昌え、好悪は以て節し、喜怒は以て当たる。以て下と為れば則ち順、以て上と為れば則ち明、万変すれども乱れず。之を弐にすれば則ち喪うなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る