荀子 / 大略篇
貨財曰賻,輿馬曰賵,衣服曰襚,玩好曰贈,玉貝曰唅。賻賵、所以佐生也,贈襚、所以送死也。送死不及柩尸,弔生不及悲哀,非禮也。故吉行五十,奔喪百里,賵贈及事,禮之大也。
新字:貨財曰賻,輿馬曰賵,衣服曰襚,玩好曰贈,玉貝曰唅。賻賵、所以佐生也,贈襚、所以送死也。送死不及柩尸,弔生不及悲哀,非礼也。故吉行五十,奔喪百里,賵贈及事,礼之大也。
書き下し
貨財を賻と曰い、輿馬を賵と曰い、衣服を襚と曰い、玩好を贈と曰い、玉貝を唅と曰う。賻・賵は、生を佐くる所以なり。贈・襚は、死を送る所以なり。死を送りて柩尸に及ばず、生を弔いて悲哀に及ばざるは、礼に非ざるなり。故に吉行は五十、喪に奔るは百里、賵贈は事に及ぶ、礼の大なるものなり。
現代語訳
弔いに贈る金品を賻といい、車馬を賵といい、衣服を襚といい、愛玩の品を贈といい、死者の口に含ませる玉や貝を唅という。賻と賵は遺された者の暮らしを助けるためのものであり、贈と襚は死者を送るためのものである。死者を送るのに棺や亡骸に間に合わず、遺族を弔うのに悲しみの最中に間に合わないのは、礼ではない。だから吉事の旅は一日五十里、喪に駆けつけるときは一日百里を行き、贈り物は葬儀に間に合わせる。これが礼の大切なところである。
解説
弔いに贈る品々の名を細かく分け、そのうえで礼の要は間に合うことだと説く一段です。金品を賻、車馬を賵、衣服を襚、愛玩の品を贈、死者の口に含ませる玉を唅と呼び分け、賻と賵は遺された者の暮らしを助けるため、贈と襚は死者を送るためのものだと整理します。そして荀子は言います。どれほど立派な品を用意しても、亡骸に間に合わず、遺族の悲しみの最中に間に合わなければ、それは礼ではない、と。だからこそ、ふだんの旅は一日五十里でよくても、喪に駆けつけるときは倍の百里を急ぐ。礼にはふさわしい時があり、その時を外せば意味を失うのです。現代でも、見舞いや弔問、お礼の言葉は、遅れれば同じ言葉でも重みが変わります。心を届けるには速さがいる。この一段は、思いやりに締切があることを教えてくれます。
この章句が説くこと
賻と賵と襚生を佐け死を送る喪に奔る間に合うことの礼礼
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